【読書感想】阿佐谷姉妹ののほほん二人暮らし


この本の概要

40代、独身、女芸人である妙齢2人の地味おもしろい同居生活エッセイ。書き下ろし恋愛小説「ふきのとうはまだ咲かない」(姉・渡辺江里子)、「3月のハシビロコウ」(妹・木村美穂)も収録。
「BOOK」データベースより

軽いの読みたくなりまして、買ってみました。

最近、気付いたんですわ。「仕事のため」とか思って学び感強めな本を積読してたけど、集中力が持続できず細切れ時間で読むしかない環境で、集中力必要な本を読むのは楽しくないな、と。だったらもう思いきり軽いやつをとことん楽しんでいこうかな、と。

なので、なんにも考えずに読めそうな阿佐谷姉妹のエッセイ。(阿佐谷姉妹に失礼ですけども)

内容はエリコさんとミホさんが交互にエッセイを書いていくスタイル。間にはお二人のオリジナル短編小説なんかもあったりして、軽く楽しく読むことができます。

あと、お二人は私よりなんぼか年上ですけど、四十代女性のリアルが「まさに共感!」でして、静かに励まされました。

女同士の共同生活

私も結婚する前、女三人でルームシェアしていたので、その当時を思い出したりしました。阿佐谷姉妹は阿佐谷ですけども、私らは三鷹。中央線沿いにはルームシェアしたい女たちを引き寄せる何かがあるのかしら。

私がルームシェアしてたのは、まだシェアハウスが流行る前だったんですけど、なんかね、その当時はルームシェアはトラブルの話もよく聞くので、全体的にネガティブな感じもあって、田舎の親からは若干心配されたりしました。

でもまぁ、こっちは社会人で自立してたし、一人暮らしも寂しかったし、結局、週末毎週友達とつるんでるなら、一緒に住んでもいけるんじゃないかっていう流れになりまして、半分勢いで同居を決めました。

私は三人暮らしをする前に「更新はしない。この2年の間に結婚できそうもなかったら秋田に帰る」と宣言してたので、それも良かったのかなと思います。だらだらつづけてたらトラブってたかもしれないしね。(その2年間の間に、私は夫と出会うことができ、秋田に帰ることなく結婚することになりました。)

三人暮らししてる間は、大きな喧嘩も揉め事もなくて、とっても楽しかったです。

阿佐谷姉妹も書いてるけど、家に誰かがいて、今日あったことを話したり聞いたりできるって、すごく良かったんですよ。お家に帰るのが楽しい。

ご飯もみんなで食べられるし、三人でたまに銭湯行くのも楽しい。罰ゲームで変なカチューシャつけてドラッグストア行ったり、私のメガネにマシュマロつけてドッキリされたり。

私らは阿佐谷姉妹と同様、寝るのも同じ部屋だったので、ホント、当時は四六時中一緒にいましたね。

もちろん、互いの距離感とかは調整が必要だと思うんですけど、一緒に住む人が恋愛対象の性の人じゃなかったとしても、自分が心地よくいられる誰かと一緒に住むっていうのは、それだけですごく幸せなことだと私は思います。そういう人がいるなら、なんかもうみんな誰かと住めばいいと思いますよ。

だから、私らのあと、シェアハウスが流行り出したのは世の中の必然だし、その流れはとてもいいと思っています。(すごい、自分たちが流行りの最先端風に言ってしまった…。ドキドキ…)

「寂しい」気持ちは心にとってもすごくよくないものだと思うので、そういう人が減るといいよな、と思います。


ワタクシ的名言

白髪はもちろん、以前から首にポツポツと小さいいぼみたいなのが出来始め、なんだろうと調べてみると皮膚の老化現象「老人性いぼ」と書かれていて、老人性!とショックを受けたり、風邪をひいた時に鼻をかみまくっていたら、鼻の下の皮膚がガビガビのまま2ヶ月くらい再生せず、背中の一部分もボリボリかいていたらまったく再生しなくなり、皮膚も半分死んでいるような状態です。

老人性いぼ…。そう、これまさに、ちょっと前に衝撃を受けたリアル体験です。

首のあたりに小さいホクロが増えてる…と思って検索したら「老人性いぼ」。リエコさんとまったく同じ驚きとショックを私は受けました。

しかもそこでちょっと調べてしまったからか、ご丁寧に私のYahooは「このクリームで首のいぼがとれた!」などという美容広告を積極的にレコメンドしてくださるようになりました。

で、吊り広告とわかっているはずなのに、私もついつい広告を読んでしまい「今だけディスカウントなら買ってみてもいいのでは…?」と危うくクリックしそうになったりしています(買ってはいません)

老いていく自分もまた良しと受け止めたい自分もありつつ、なんとか姑息な手を使っててもこの肉体の変化に抗いたい自分もいます。

あるがままの自分を受け止めるというのはなかなかどうして難しいものです。


あらためて考えると、本当に楽させてもらってるなと思います。あまり多くを考えずに、好きなことを好きなように話して許される、話がなければそれはそれでそのままいられる。最高の話し相手が当たり前に近くにいる、それはとてもありがたいことです。

さっきも書きましたが、本当に、話し相手がいるというのは幸せなことです。半分適当に聞くでもいいんです。受け止めてくれる誰かがそばにいるというのは、本当に人の心にとって大事なことだなぁと思います。

子供に対しても、いいとか悪いとか評価せず、まずはそのまま受け止めていけばいいんだと思うんですよね。

気を付けてるけど、たまに口を出したくなる自分もいるので、子どもにとって、なんでも話して、話すことが許されるようなスタンスで接していきたいなぁと思います。


私がそうしているから、あちらにもそうしてもらえるものだと思っている所から、ものさしが狂い始めるのかも、と。実際夫婦でも家族でもない2人が、たまたま生活様式を共にしているだけで、本来は個々。むしろ、私がみほさんにしていることは、頼まれてやっていることでもなく、こちらがよしとしてやっていることなのだから、それを相手に勝手に求めて勝手に腹を立てたりするのは、変な話で。やってもらうことは「必須」ではなく「サービス」なのだ。そう思うと、落ち着いてきました。

「ミホさんが、自分の分のシチューだけ持ってきて、私の分をもってきてくれなかった。私ならミホさんの分ももってきてるのに!」という小さい違和感について、思いをめぐらせたエリコさんのコメント。

人の真理よね。アドラー心理学にも通じる考え。こういう気づきを得る人が増えたら、世の中の諍いは少し減るんじゃないかしら。

自分と他人は違うし、話をしないとわかりあえないということを、もっともっと伝えていきたいものです。日本は文脈読むことを強要する文化が強いので、そういうのは誰のハッピーもうまないんですよね。


なんか、阿佐谷姉妹の影響からか、感想文も阿佐谷姉妹朝になりました。

二人の小説もとてもよかったです。軽いものをよみたい人にはオススメよ。







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