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研究所滅亡の真相

僕が仕事を辞めることになった経緯はこちらを見ていただくとして、このnoteの趣旨を簡単に書きますと、「企業で博士まで取って研究職を続けてきたけど、干されたので辞めて別の会社に移る」というお話です。企業秘密もありますので伏せるべきところは伏せています。ご了承ください。


いよいよ現職の上司や先輩方に辞める話をしてきたので、忘れる前に話したことをざっと書いておきます。

関係の非常に深い2人の上司と、長い付き合いの先輩と面談を組んでもらい、退職したいという意向を話しました。彼らも薄々気づいていたようで、引き留めたり理由を聞いたりというよりも、僕の話をよく聞いてくれました。そういう意味ではいい会社だったと思います。

彼らは数少ない「理解ある社員」だったので、なぜ研究所は滅ぼされ、僕たちは干された挙句に残党狩りまでされてしまったのかという話を2時間近くしました。

研究所の「残党」たち

当社は長年独立した研究所をもっていましたが、あるときこれを叩き潰してしまいました。研究所の「残党」たちは開発部や品質保証部、はたまた知的財産部などに散り散りになり、身を潜めていました。若い社員を中心に会社を去った人も結構います(ただ、部署ごと解体しても雇用は可能な限り維持しようと苦心してくれたので悪い会社ではないと思います)。

僕も「残党」のひとりで、頼れる先輩たちとともに製品開発部門に配置され、ここ3年ほど細々と研究を続けていました。同じ残党だった若い社員数名は2年ほど前に転職で移ってしまい、最後に残ったのが僕らというわけです。

これまで細々ながら成果は出ていたものの、ある日突然、全テーマを一気に没収し、僕と他の残党社員をわざわざ引き剥がした挙句、全員を全く関係ない業務に割り当てて干しました。さすがにこの荒っぽいやり方に耐えられず、僕はやめる決意をしたわけです。

「干された」というよりも、「徐々に干されていって、最後にトドメを刺された」という表現の方が実態に近いと思います。

研究所は成果を出していない!という誤解

僕らが解体され、残党狩りまでされた最大の理由が、「研究所は成果を出していないから」という理由でした。ただ、あくまで偉い人から見れば成果が出ていないというだけであり、研究所発の技術が後々製品に採用されたことは珍しくありませんでしたし、新しい技術を導入する場合の要素技術開発は研究所出身者の活躍が多くありました。(のちに要素技術部門すら半壊しますが...)

あけすけに言えば、「偉い人の誤解」で叩き潰されたようなものですが、問題なのは製品開発部門や企画部門、営業部門の上級管理職ですらそう思っていたことです。研究所の実態が見えにくく、短期的なスパンでは確かに成果が出ているように見えず、成果もどの技術が研究所発なのかわからないため、ただマニアックな研究に勤しんでいるように見えても不思議ではありません。

実例のひとつとしては、僕が研究した成果を丸ごと没収し、すべて事業部の手柄にしていた一件があり、いま会社で製品化されたそれが僕の発明したアルゴリズムに依存していることを知る人間はほとんどいないでしょう(上層部には皆無でしょう)。

この手の話は40年以上の歴史があった研究所でも枚挙にいとまがないそうで、

「かなり長いこと研究していた内容が研究者もろとも製品開発に移され、成果はすべて製品開発部門の手柄として認識された(研究所の貢献は誰も認識していない)

とか、

「ある要素技術の導入について研究所が尽力したにもかかわらず、製品開発部門のみにスポットライトが当たった」

とか、

「生産技術部門の要請に応えて研究所が量産不具合の詳細な解析を行ったにもかかわらず、一切研究所の貢献は知られずに終わった」

とか、挙げればキリがないそうです。

過去にそんなことが続いた経緯もあり、当社では研究や要素技術開発を完全に軽視しています。我々旧研究所の残党から業務を取り上げ、新製品の開発を製品開発部門のみで行っているため、進捗は芳しくないようです。何しろPh.D.保有者全員から研究業務を没収して雑務をさせているぐらいなので、新しい技術の導入がおぼつかないのも無理はないでしょう。

研究者は現実を見ていない!という誤解

もうひとつ、研究者は浮世離れしていて地に足がついた提案をしない。という思い込みがあるようです。実際には、当社は基礎研究をもともとやっておらず、製品化の可能性を検討してから研究計画にGOをかけるのが通例でした。アカデミックの人から見ればテーマはすべて応用研究であり、製品として成立しそうなものばかりでした。

ところが、旧製品のアップデートを主戦場とする製品開発部門からしてみれば、研究所の連中が長い時間をかけてやっている訳のわからない試作品など基礎研究(科学のための研究、研究のための研究)にしか見えず、およそ製品化を前提としているものに見えないという意見が多かったようです。

すでに原理が確立している旧製品をアップデートする仕事は話が早く、立ち上がってから 1~2年で製品となるものが多いです。しかもそれを新製品と標榜して売るので、自分たちは新しいことをやっていると思っているのがまたタチが悪く、「研究所の連中はスピーディに新しいものを出せやしない」という認識が広まっていたように思います。(そのくせ新しい要素技術でわからないことがあると研究者に聞いてきたりするのですが・・・)

研究所が必要であるという認識がなくなった

こういう話を要約すれば、僕らが干された理由の解としては「技術者も経営者も、研究所の必要性が認識できなくなった」ということなんだと思います。無くなると(長期的には)困るはずなんですが、短期的には困らないため、「変人を遊ばせておくコストセンターは潰せ」とばかりに縮小を繰り返し、消滅させるだけでは飽き足らず、残党狩りまで始めてしまったわけです。「種モミを守ろうとして命を懸けたが惨殺された北斗の拳の序盤に出てくるおじいさん」の気持ちが25年の時を経てようやく当事者として(惨殺される側として)実感できました。

まぁ所詮は昭和の時代を引きずるメーカーなのでその程度の認識なのかもしれませんが、僕が移籍を決めた別のメーカーは全く逆の発想で研究所を大事に維持し続けていますので、日本企業全体がこんな短絡的な思考ではないと思います。僕の所属していた会社はめでたく「研究者の完全粛清」を完了しました。僕に遅れて残りの残党も会社を離れる検討を始めたそうですので、粛清は理想的にうまくいったというべきでしょう。残党狩りは大成功です。

オジサンたちの落日

結局、僕ら研究者なしで進めている「前例のない新製品」の開発は芳しくなく、試作品で実験をすることさえおぼつかない様子ですので、早くも粛清の悪影響はでているようです(もう知ったことではありませんが)。

なぜこんな有様になってしまったのか・・・と思うと不思議です。我々を粛清したのならば、代わりになるものを用意するのが通常の考え方だと思いますが、それもしないようです。なにやら小さなベンチャー企業に出資したりはしているようですが、その技術が社内で生かされているという話は聞きませんし、もっと現代的な先端技術に精通した若い人を雇っているわけでもありません(むしろ社員は高齢化が激しく、旧来の製品開発部のオジサンたちの平均年齢は45歳を超えているのではないかと思います)。

このままでは早晩古い製品のアップデート以外はできなくなり、いずれそれすらも行き詰まって滅亡すると思いますが、オジサン本人たちは前例のない新製品を自分たちの手で開発できると本気で思っているようです(だからこそ我々を粛清して平気な顔をしているんだと思います)。

オジサンたちにはお世話になりましたし、決して悪い人たちではないので、外から様子を見ようとは思っています。10年後ぐらいには滅亡していると思いますが、それまでは頑張ってほしいものです。

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