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自己紹介を兼ねた、僕が企業で研究職になり、そして辞める決意をするまでの話

前から僕のツイートは長くて、Twitterでツリーをどんどんぶら下げて書くスタイルだったんですけども、長い話はNoteに書こうと思い立って始めました。

Noteをはじめての記事は自己紹介やこれからやりたいことを書くのがおすすめです。

と書かれていたので、自己紹介を兼ねて僕が企業で研究職になるまで、それから10年経って辞めようと思うまでの話を書こうと思います。

大学院を出たけれど

僕が大学院を出たのは10年前の2011年のこと。とはいっても、この時点では某国立大学工学部の修士課程を出た普通の学生でした。成績もあまりパッとせず、研究だけは好き(ただし成果は大したこともない)という人間でした。もともと科学少年だったので実験は大好きでした。

2010年に就活をしてみると、リーマンショックの煽りで全然求人がありません。あわよくば研究職に就ければいいなと思い探していましたが、研究職はおろか他の職種すらなく、狙っていた業界の大手企業の中にも新卒採用を見送るところがあったのを覚えています。

そんななか、12社目の面接で拾ってもらえたのが今勤めている会社です。一部上場企業でそれなりに規模もあり、当時は「何の仕事でもいいから、とにかく大きな会社に勤められる」という思いが強く、大喜びしたものでした。

最初は製品開発部門に配属されると聞いていましたが、いざ配属式に臨むと、同期の中でただ一人「研究所」と読み上げられました。その時の衝撃ときたらすごいものでした。まさか僕が一部上場企業の研究職になれるなんて!そう思って舞い上がったものです。こうして僕は晴れて研究職になれたのでした。

最初の研究テーマ

最初に与えられたのが、僕の学生時代の研究(レーザー光学)とは全然違うテーマでした。微細なモノの研究(企業秘密なので内容は伏せます)を先輩社員と一緒にやりました。最初は何だか全くわかりませんでしたが、学生時代の専門だった電子工学関連だったこともあり、1年も過ぎるころ、ようやく内容がわかってきました。

ところが2012年の春、突然テーマを打ち切られます。当社では当時そのテーマに長年取り組んできたこともあり、まさに青天の霹靂でした。こうして僕は最初の居場所を失います。

第2の研究テーマと博士号

2つめのテーマは2012年から始め、そのあと僕の(一応の)専門となりました。当社は医療向けのメディカル分野の製品も取り扱っており(またも企業秘密なので内容は伏せますが)、そちらのテーマは継続するので移ってはどうかと言われました。

いや、なんでだよ(1回目)

何しろ「生物」など中学校の「たのしい理科」以来(僕の高校では生物が物理との選択制であり大学入試も物理を選択すればよかった)なので、突然医学の分野の仕事が務まるのかと震えました。まだ就職して1年しか経っておらず、転職など考えられなかった僕は「転職したものと思って・・・」とゼロから勉強することを決意します。

学生時代とも、最初の研究テーマとも異なる医学という分野に足を突っ込んだことは、いまとなってはとても良かったと思いますが、当時は何で僕なんだろうかと意味が分かりませんでした。

それから共同研究と称し、某大学に一時的に常駐したり、研究のため大学病院に出入りしたりと、なかなか面白い日々を過ごします。常駐先の大学の先生のご厚意で働きながら博士号を取ってみないかと勧められたこともあり、研究の途中から博士号取得に向け動き始めました。この時期が一番研究らしい研究をしていたように思います(その後2017年に博士号授与)。

第3、第4のテーマ

2015年ごろ、僕は会社に呼び戻されることになりました(2つめのテーマ開始から3年半)。会社では妙な社内政治力学が働き、研究所は再び縮小されることとなっていました。僕のテーマは幸いにも生き残りましたが、他のテーマは2012年の時のように完全に切られたものもありました。そんな中、事業化の見込みがあるとみなされたものだけが残り、その中のひとつを僕にやらせようという話が持ち上がりました。

僕のいまやっているテーマはどうするんだという話になりましたが、チームでやっていたこと、博士号取得に向けちょうど動き出していたこともあり、僕だけ「通い」でなんとかすることになりました。2つめのテーマ同時進行となり、じゃあ3つめのテーマも医学系ですね。と思ったら、なんと「君には半導体レーザーと電子回路をやってもらう」と言われました。

いや、なんでだよ(2回目)

どうやら僕が電子工学科の出身だったこと、大学院生の時にレーザーを扱っていたことが決め手になったそうです。いや決め手じゃないよ。なんのためにライフサイエンスやらせたの。他に回路設計できる奴腐るほどいるだろ。と、色んな思いがぐるぐるしましたが、この時も辞める決断には至りませんでした。一応研究職という身分は保障されたのと、博士号のテーマを取り上げられたわけではなかったからです。

またイチから勉強です。一応電子回路は大学時代にかじっていたのでゼロからではなかったとはいえ、なんとも徒労感のあるスタートとなりました。

ところがそのわずか8か月後、僕に4つめの研究テーマが降りかかります。2016年からなんと新しい研究テーマを立ち上げるからそれをやれというのです。あれだけ研究所縮小したのに?本気で言ってんのか??頭でも打ったか???と、思いましたが、僕は内容を聞いてみることにしました。いわく「君には画像処理と三次元形状解析をやってもらう」とのことでした。

いや、なんでだよ(3回目)

いや、さすがに医用画像処理ですよね。そうですよね。それは2つめのテーマでも少しやりましたし、僕も少々はプログラミングもできますから。と思ったんですが、「いや、産業用機械用途で、医療は全く関係ない」とのことでした。いやおかしいでしょ。なんのコントを見せられているんだ僕は。

こうして僕は4つめのテーマである情報学に移ることになり、3つめは終了となりました。ここで断って転職してもよかったんですが、共同研究先に常駐となり会社に出なくてもいいこと、常駐先が国の研究機関のさる高名な先生のところであったことから、「これは後で使えるな。芸の肥やしと一時的な転職だと思って受けてやろう」というスケベ心から受諾しました。

第5のテーマとそれを取り上げられるまで

4つめのテーマの走り出しは順調とはいえず、ほぼ僕に丸投げ状態でスタートしましたが、さすが高名な先生だけあって優れた成果を短期間で上げることができました。その成果は会社に還元し製品として使われることが決まりましたが、移管直後に僕は4つめのテーマを没収され、成果はすべて移管先の部署のものになりました。

いや、なんでだよ(4回目)

第5のテーマとして医療機器系に戻ってくることが決まっていたためすぐに僕を異動させたのだそうですが、なんか嵌められてんじゃないかと思うぐらいにヒドイ仕打ちでした。ここで辞めてしまうのもアリだったかもしれませんが、専門である医療機器に帰ってくることができたのと、すでに当社で何年かやっているテーマに途中参加という形だったので、続けてやろうという気にはなりました。

2017年末にずっとやってきた第2のテーマは僕の博士号取得をもって終了し、没収された第4のテーマも2018年末で終了となったため、僕に残されたのは第5テーマのみとなりました。これは社内の最高機密とされたため学会発表も論文執筆も禁じられ、対外的な成果は全くなくなりました。それでもいつかは事業化が決まるだろうと2021年の今日までやってきましたが、研究所の3度目の縮小が決定的なものとなり、第5のテーマも没収され、僕は最後の行き場を失いました。

いや、なんでだよ(5回目)

2021年4月から、製品開発部門に異動することが記されていました。内容は旧製品の保守や製品開発と称した何の新規性もない古い製品のアップデート対策などで、研究業務はすべて取り上げられることが決まったということでした。

さすがにもう辞めてもいいよね?

会社の都合で振り回された研究職としての自分

以上が、僕の10年間の遍歴です。会社の都合というより、上層部の思い付きと、研究所をコストセンターとみなして潰してきた会社の方針に翻弄された人生でした。10年間で5回の「なんでだよ」を経てついに辞めることにしたわけです。

「企業で研究者をやると、自分が興味あること、やりたいことを任せてもらえるとは限らない」というのはよく言われることですが、それは本当だと思います(他社でもそんなものではないかと)。しかし、会社は「偉い人の思いつき」で始めた研究に僕を割り当てていただけで、長期的に僕を研究者として会社の事業に貢献させる気があったとは思えないのです。僕だって会社に貢献したいという一心で「ゼロから勉強」を4回も5回もやってきたつもりですが、結果残ったのは「いろんなところを放浪してきただけで実績もロクにない研究者崩れの中年男性」でした。

僕は旧製品の保守をやるのがイヤというわけではなく、コロコロ方針を変え僕を振り回して、さらに新事業の源泉である研究所を叩き潰して平気な顔をしている会社そのものの将来性に疑問を持ったので転職を決意しました。

もう僕は今の会社を辞め、研究者に戻ることはないかもしれません。これを書いている時点で次の職は決まっていませんが、こんなメチャクチャなキャリアの僕を、研究者として使ってくれるところはないでしょう。(後日追記:結局似たような規模の中堅企業で研究者を続けられることになりました。また滅亡しないとも干されないとも限りませんが・・・。)

このnoteでは、なぜ日本企業では研究職が冷遇されるのか、研究所や研究者を叩き潰した会社の末路、博士はなぜ採用されにくいか、僕の転職話といった話を少しずつ書いていきたいと思います。ただ、僕の個人的な話のみでn=1なので、そこはご承知おきください。

企業の研究所、開発部門、大学、国の研究所、病院・・・ここまでいろいろなところを回ってきた研究者も珍しいと思います。どこへ行っても「部外者の視点」でものを見ることができたので、気づいたこともたくさんありました。

今後はTwitterではなくこちらに書きますので、よろしくお願いします。

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