忘れられない先生(1)
混沌としているので、少し文章を書きたい!
書くぞー!
今回も変わらずだらだら駄文です📝
表題のとおり、
「忘れられない先生」についてちょっと思い出してみる。
小学校3年生の担任 A先生
その先生は 小太りで色が黒くて、背が小さい。給食を3人分くらい食べる。
そして、無類の昆虫好きであった。
その先生の理科の授業は、ほとんど教科書を開かない。
近くの神社に行って、虫をとりにいく。
そうして、捕まえた虫の生態をたっぷり説明してくれる。
神社の周りに広がる小さな森が、一気に未開の地に感じられて、わくわくした。
虫以外にも、鴨や鯉に餌をやったり、季節の植物を観察したり、どんぐりを集めたり、おのおの好きに1時間を過ごす。
その先生のもとで、テストの点数はとれたためしがなかったけれど、虫の鳴き声に耳をすませるようになった。
秋の夜、授業で捕まえたコオロギたちを家に持ち帰り、鳴き声を聞きながら寝た。コオロギの鳴き声を聞くと秋だな〜と思う、と先生が言っていて、同じような気持ちになってみたかったのだ。
まあ、うるさくてその後すぐに玄関に置きに行ったんだけどね!
その先生から学んだものは、思いのほか多く、思い出すのは緑生い茂る境内の匂いである。
小学校4年生 B先生
とびきり優しい、男の先生だった。
それに、黒板に書く字が教科書みたいに綺麗だった。
日記を書く課題で、小4もこたは表面、裏面びっしり汚い字でつらつら書き散らした紙を毎日出していた。
はなまる一個つけて返してもらうだけでも嬉しかったと思うのに、先生は数行のコメントをつけて返してくれた。
だから私はその先生のことが大好きであった。
ある日、先生は学校に来なかった。
退職したと聞かされた。
納得いかなくて、なにか知っているようだった母に聞いたら
「先生はね、犯罪してたの。前にいた中学校で、女の子によくないことしてたんだよ。」
と言われた。
先生が犯罪をしていたのは、心底びっくりした。
びっくりしたけれど、先生がよく生徒たちを連れて歩く時、いつも首がかくんと曲がって俯くような姿勢になっていたのをふと思い出して、妙に納得してしまった。
人には表の顔と裏の顔がある、
あるんだなあ本当に。
でも私は優しかった先生しか知らなかったから、寂しくてちょっと泣いた。
小学校5.6年生 C先生
都会(札幌)の先生は、きびきびした動きで、参観日とかじゃないのにかっちりした服を着ていた。
30代後半の少し厳しそうな女の先生。
転校した初日、初めて挨拶した時は少し緊張した。先生は淡々と、早足で各教室を案内してくれた。
クラスであきらかに浮いている女の子Aがいた。転校生の私からみても浮いていた。
クラスの子はみんなAを避けて輪に入れないし、たまに馬鹿して煽ったりする、話を聞かないしAが何か言うと頭ごなしに責めたりする。
なぜみんながそんな対応をするのか理解できなかったけれど、それよりもずっと理解できないことがあった。
ある日、Aがなにか悪さをしたようだった。それが発端で、口達者な男の子が、
「Aを宿泊研修に連れて行かない方がいいと思います!」と先生に言った。
そうすると先生は、道徳かなんかの時間に、Aを教壇の前に立たせて、Aを宿泊研修に連れて行くか否かを議題に、みんなの意見を仰いだのだ。
その後、Aが改心(?)したら連れて行ってもいいだろうという結論になり、あろうことかクラス全員にAの悪いところ、直した方がいいと思うところを指摘してみなさいと先生は言った。
皆、もぞもぞと話し始めて、それを聞きながら、先生は顔色ひとつ変えずにうんうん頷いた。
心底その光景が、気持ち悪かった。
先生は彼女を見せ物にしていると思った。
彼女がクラスの中で自分の居場所を見つけることはついに叶わなくなっただろう。
一連の行為が事態のなんの解決にもつながらないことは小5の私ですらわかった。
あのとき、初めて先生を軽蔑した。
〜〜〜
いい大人もいれば、よくない大人もいるという、この世の摂理を純粋に受け止めていたあの頃....
といいつつ、今でもいい大人を見ればどきどきするし、よくない大人を見ればもやもやする。
大人になってもずっとどきまきしている!
大人は、歳ばかりとっているけれど、すこし肩の力をぬけば小さな子どもになれてしまう。
はあ、きっと先生もそうだったということである。
〜〜