先日、20年以上昔、自分がmixiに書いた記事を読み返してみた。
…何の違和感もない。
えっ
それ、大丈夫?
mixiをしていた頃は短大に行ったり事務をしたり、学生に戻ったり、講師をしたりと、ひたすら人生を浮遊していた。
当然ライターは未経験。
卒業文集とか、成人してから読むとアオハルしてる自分や稚拙な言葉が恥ずかしくて読めたもんじゃない、あの感覚になると思っていた。
まがりなりにも今は文章で金を落としてもらう立場になり、過去の記事を読んだなら
「若気の至りでお恥ずかしい限りです」的コメント、出てきてしかるべきじゃない?
人生って三歩進んだら二歩下がるけど、一歩分は進むんじゃなかったっけ?
顔面に、明瞭に歳を刻み込んでるあいだ、脳内の進捗どうなってたん?
私だけかもしれないが文章は、上達する意思を持って書かなければ、もしくは意識があったとしても、報われる結果をもたらすわけではないらしい。
ショック。
結構なショック。
なので最近、語彙や言い回しをきちんと血肉にするためのノートを始めた。
今回のmixiで私がダイオウグソク脳であることは立証済みなので、効果があるかどうかの検証が終わる頃には召されているかもしれないが。
どれほど変わっていないか、18年前、2006年に私が書いた、蚊と格闘している記事を転載してみる。
前提として、季節は11月。今のようにワンプッシュで蚊を死に至らしめる魔法は存在しなかった。
猫型ロボットに憧れていたわけでも、メガネと同棲していたわけでもないが、当時は実家に住んでおり、なぜか自室の押入れで寝ていた。
長いので、興味のある方はどうぞ。
私はこの出来事を覚えている。
結構な勢いで手をぶつけて、かなり頭にきたことを昨日のことのように思い出せる。
もともとストレージが少ない我が脳は、常にアンインストールできる何かを探しているというのに、他に入れとくことあるやろ。
此度作成した言葉ノートが効果を発揮し、10年後には晴れて赤面できますように…。
本日も、進まない一歩を目前の巨岩に押し込んでゆく。