見出し画像

「妻」のことば。

午後になってようやく仕事の「本丸」に着手。「やり始めれば、ちゃちゃっと簡単にできるわぁ♪」と甘く見ていたところ、いやいや、どうにもなかなか厳しい闘いであるらしい現実が分かり、今さらながらちょっとオロオロしている私です…。σ(^◇^;)

夕方、気分転換に外出。お風呂に行こうかと思ったけど、時間もお金も掛かるので(「バス」ではなくて)パス。
古紙(古新聞とチラシ)、年末に久しぶりに何本かまとめて買ってしまったビールのアルミ缶を捨てに**市の「家」から1㎞ほどのところにある「作業所」に行こうかと思うが、こちらも断念。明日は久々の「篠山早朝散歩の会」なのだが、その帰りに寄ることもできそうなので。

お風呂近くのドラッグストアでキリンの瓶ビールと、スーパーでちょっとだけ買い物を済ませて帰る。

昨日、アンコウを食べるときに、エアコンよりもファンヒーターよりも毛布よりも、ネギの方がずっと暖房器具(?)として優れていることに気付き、ネギやらシイタケやら人参やら、野菜を買って帰る。鶏鍋にしようと思ったのだが、ひとり暮らしに適量のお肉がなくて、つみれ団子(20%off)に。

牡蠣にしようかとも思ったのだが、ちゃんと火を通したとしても、ひとり暮らしで牡蠣に当たるとさすがにつらいかなぁと思って、止めた。

そう、牡蠣と言えば。

去年私が「家」を出ることが決まっ(っていっ)たのは、2月の半ば以降だったかと思う。それまでも口癖(←それがイケナイ…!(涙))のように「居場所がない」「出て行きたい」と言っていたのだが、そのときは、「あなたが言ったんだから、ちゃんと出て行きなさい」「言ったことは守る方がカッコイイわよ」「言ってることがコロコロ変わるから全然信じられない」「まわりにはみんな連絡しといたから安心して出て行って」ってな感じで。

私は、家族と食卓を囲むのがつらくなり、「今日はいいよ」「今日はいいよ」を繰り返し、「もう、しばらくいいよ」と言って、たぶん2月の後半くらいからは「家」で食べることは一切なくなった。前にも書いたけれど、お風呂もジムで済ませるようになり、小食で1日2食くらいだし、運動はするし、珍しく体重も落ち、腕や胸にも少しだけ筋肉が付いた。(苦笑)

洗濯やお風呂洗いは私の仕事だったのだが、その仕事すら「奪われた」ことも前に書いた。洗濯物には触らないで欲しいようなムードだった。食器洗いも結構私が良くやっていたのだが、食洗機が導入され、その使い方は「妻」と娘しか理解していなかった。リストラされた窓際族の気分、かなぁ…。

たぶん3月の半ば頃、
「あなたがちゃんと部屋を決めたら、一緒にご飯を食べても良いよ」
と言われたのだが、部屋が決まっても、結局そんな機会が訪れることはなかった。

部屋を探すとき、
「あのさぁ、少し高く付くけど、マンスリーマンションとかじゃダメ?」
と訊くと、
「えっ? あなたはそんな数ヶ月かで戻れるとでも思ってんの?!」
って真顔で言われた。
「じゃあ、プールのこともあるし、**市じゃダメ?」
って訊いたときには、
「単身赴任なんだから、それは、ダメでしょ?」
と。もう、今思い出すとちょっと笑えさえする。

そして、牡蠣の話。
3月の始め、あるいは半ばだったんじゃないかなぁ? 妻がどこから取り寄せたのか、クール便で届いたのです。私だって牡蠣、大好きなのに、もちろん、食卓に呼ばれることはありませんでした…。たぶん「息子(=チビ)」が、「あれ? 父さんは?」って言ってくれたようにも思うのですが、「妻」は「父さんはいいのよ」って言ったように思う。これもまた真顔で。「息子」の方を見ることさえなく。

そんなことを思うと、なかなか、もう戻る余地なんて無いよねぇって思うのです…。涙

なんてことを、これから3月、4月まで、いろいろと思い出すんだろうなぁって考えると、ホントつらくなりました。大丈夫かなぁ、わたし。がんばろ。とりあえず、目標は「死なないこと」。

明日は篠山早朝散歩。
散歩の後、「妻」の実家にでも顔を出して来よっかなぁ…?(亡くなった「義父」への正月のあいさつも兼ねて。)
妻はもちろん嫌がるだろうけれど(あるいは、許しがたく激怒するだろうけれど)、私としては誠心誠意を込めての陳謝と、それでも修復不能であるのならば「別れ」を告げて来たいと思う。

 *** *** *** *** ***

冒頭の写真にも意味はあったんだけど、それに触れるところまでいきませんでした。あは。