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合わせるのではなく、歩み寄るのだ

みなさん、こんにちは。こんばんは。

今日の記事は珍しく当方のパーソナルな部分の思いをつらつらと書き連ねることにする。
つまりは恋愛観。

『恋人との連絡頻度の最適解』

恋愛に行き詰まった女性の悩みの種の一つであるのではないか。

男は、女は、でカテゴライズしていろいろ語りがちだが、個人的に一番大事にしている考え方は

自分自身の価値観で連絡頻度で相手からの愛を図るな

これにつきると思っている。

連絡頻度で愛を図るのは一つの指標であることは間違いではないと思う。
しかしそれは、「前までは毎日おはようの連絡があったのに、最近はないな、、」「突然既読無視が増えたな、、」
というように以前との変化で考える場合だ。

自分だったら好きな人と毎日連絡とりたいのに!!
と自分軸で相手の行動で愛を判定するのは野暮なのでは。

わたしの恋人はLINEをほとんど返さないし送らない。
今LINE見ているんだろうなというような送るとすぐに既読がついてすぐ返信がくることはほとんどない。待ち合わせのときくらいだ。笑

最初は無視されていると思って悲しかったし、自分の話がつまらないのでは?と落ち込んだ。(実際どうでもいい内容を送っていたわたしも悪いのだが。)

しかし恋人と話し合うと、LINEが得意ではない人だということが発覚した。LINEを送ってもらうのはかまわないが、返信までは期待しないでほしい。と。

ここでわたしは、「こういう人なんだ」と思うことができた。
どういう人なのかが分からないと、「ほかの女性とLINEしてて、わたしの番がこないのかしら?」といらぬ妄想をして落ち込む。これこそ無駄だ。

それからは、LINEではなく、電話でコミュニケーションをするようにした。週1くらいの頻度で、「電話したいんだけど、予定どう?」と聞く。そして電話をする。きっと電話の方が性に合う人なんだろう。
もちろん電話もわたしからしたいと言う。電話したいといったらしてくれるのでこういう提案は定期的にしようと思う。

ここからが本題だ。

なぜわたしはLINEなり電話なりで電話を取りたがるのか?

定期的に連絡をして愛を確かめたい。心が離れていないことを確かめたい。

つまりはどこかで不安を感じているのだ。
電話したい。も本当に話したい重要なことがあるわけではない。連絡しない、恋人の生活にわたしが一ミリもないことが続き、恋人に捨てられるのが怖いからである。いなくてもいい。と思われるのが怖い。わたしがいない日常が受け入れられるのが怖い。さみしいという感情が向こうになくなるのを認めるのが怖い。

不安におびえている。

裏を返せばわたし自身もそうだ。
恋人と連絡を取らず、会わず、わたしの生活に恋人がいなくても平気だな。と思ってしまうのが怖いのだ。
好き嫌いとはまた話が違うのだが。さみしいとか会いたいとか、電話したいとか、そんな感情がなくなって、あれ?ってなる瞬間がくるのが怖いのである。

正直、恋人のことは大好きだ。今は遠距離だが、近くで暮らしたい、一緒に暮らしたいと思っている。好きなところはたくさんある。恋人からの愛も感じる。幸せだなと思う。

だから連絡頻度のことで悩むのはやめると自分に言い聞かせる。


タイトルにある
『合わせるのではなく、歩み寄るのだ』
これが恋愛において、人間関係において大事なことだろう。

毎日連絡したい人と週1くらいの事務連絡レベルが限度の人(そもそもこんなに剥離がある人たちが恋人になれるのかはともかく)がいたら、連絡頻度が少ない方に合わせるのが一般的だろう。
しかし、どちらかが合わせるのが最適解なのだろうか。
お互いに歩み寄るのがいいのではないか。

じゃあ、どうやったら歩み寄れる?

話し合い ですよね。

今のわたしに必要なもの。

連絡頻度に限らず、歩み寄りは必要不可欠になる。
合わせるだけなら偏りが生じて、限界がきて、申し訳なくなって、と悪循環になりかねない。

こんなにいろいろ書いて気持ちは整理できた気がするので、次はどうやって伝えるかだ。

恋愛って難しい。けど向き合いたいと思う。
それほどわたしは恋人を愛している。


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