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タルコフスキーとバーニョ・ヴィニョーニ温泉

私にとって特別な意味を持つトスカーナ州のオルチャ渓谷。オルチャ渓谷にある村Bagno Vignoni(バーニョ・ヴィニョーニ)も、私には特別な村です。

村の中心部の広場には、16世紀に作られた49mX29mの、火山性の地下水脈から湧き出る外湯があります。バーニョ・ヴィニョーニ温泉には、エトルリア時代やローマ時代から、教皇ピウス2世、ロレンツォ・デ・メディチなどの著名人や、この村を保養地に選んだ多くの芸術家が訪れ、モンテーニュは「この風呂は非常に高貴だ」と記しました。

アンドレイ・タルコフスキー監督の映画「ノスタルジア」を見て強い興味を持ち、近くを通った時にBagno Vignoniに寄ってみたのは、もうかれこれ30年近く前だと思います。
当時、Bagno Vignoniは、ほぼ映画のイメージに近い退廃を感じさせる村でした。映画で見られるように、温泉の周りの建築物には誰も住んでいないかのように朽ちていました。

当時の夫と、人っこ一人いない村を通り過ぎると、あっという間に、ノスタルジアの映画の中でアンドレイが、世界を救済するために蝋燭の炎を枯らすことなく温泉を渡り切ろうとしたあのプールが目の前に現れました。中世から何の変化もないままそこに存在し続けたかのような石造りのその大きな湯槽を前に、結婚したばかりの若かった私は、このくらいの湯槽なら、蝋燭の火を消すことなく渡りきるなんて簡単だろうな、と思いました。

そして、人生のさまざまな波を超えた今、蝋燭の火を消すことなく渡りきることがどんなに難しいか、よく分かるようになりました。

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映像美、退廃美、水、犬、そして、もう1つ私の人生に大きな影響を与えたピエロ・デッラ・フランチェスカの「出産の聖母」、私が魅かれ続ける時間と記憶についての物語が語られる「ノスタルジア」は私にとって特別な映画です。

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この映画は、タルコフスキーとトニーノ・グエッラが共同で脚本を執筆しました。トニーノ・グエッラは、イタリアの詩人、作家、脚本家であり、アントニオーニ、フェリーニ、タビアーニ、ロージなどの監督と多数の名作でコラボレーションしています。才能にあふれながら、庶民的で、人々に好かれた、イタリアを代表する天才です。


ノスタルジアは全編イタリアで撮影されており、トスカーナ、ウンブリア、ラツィオの中世のイタリアが垣間見られる地域で撮影されています。アミアータ山にあるサンサルバトーレ修道院の地下室、サン・ガルガーノ修道院、バーニョ・ヴィニョーニ、オルチア渓谷、モンテッキオ、チッタドゥカーレのサン・ヴィットリーノにある水没したサンタ・マリア教会、そしてローマのカンピドリオ広場など、いつかノスタルジアの撮影地のコラムを書いてみたいものです。

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Bagno Vignoniは、今ではおしゃれなレストランやショップが並ぶ観光地です。30年前訪れた、辺鄙なBagno Vignoniがもう見れないのかと思うと、朽ちた村と対象に若く何も怖いものがなかったあの頃の自分が失われてしまったことと連鎖し、少しだけ寂しい気持ちになります。

「時間とは、人間の火の精サラマンダーが生きている間の状態である。時間がなければ記憶がないのは当然だが、記憶というのは非常に複雑なもので、その性質を列挙しても、私たちに与える影響の全体像を定義することはできない。記憶とは精神的な概念である」(タルコフスキー 1988)

アンドレイがついに渡り切った、村の中心部の温泉には入れませんが、今では、いくつか温泉ホテルがあり、宿泊者以外も温泉に入れます。

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