来世は雑草がいい
先日、東京都写真美術館でメメント・モリと写真という展示を見た。
メメント・モリは直訳をすると「死を忘れるな」という意味になる。
これは決して死んだ方がいいとか死を望めとかそういう希死念慮の話ではなく、いつか必ず死ぬのだから今この瞬間を良く生きろというような内容を示唆している。
私にとってメメント・モリと写真は、死が生の延長線上にあるということに改めて向き合わせられる、とてもいいきっかけになった。
私はどうしようもない人間なので、「今度でいいや」とか「また会った時に言えばいいか」とか、ものごとを先送りにしてしまうことが結構ある。なかなか、今という瞬間を大事にすることができていない。
だからこそいつだって後悔ばかりで、あのとき行動していたら、ちゃんと気持ちを言葉で伝えていれば、意地を張らずに素直になれていたら、あの日にもう一度もどれれば、そんなことばかり考えてしまう。
本当はそんなことを考えている暇は、命という限られた時間の中ではないはずなのに。
もっと私も、今を良く生きたい。
子供の頃から、私は来世は草になりたいとずっと思っていた。
植物には脳がない。だからきっと、恐怖や悲しみもない。
ただそこに生えたから命が尽きるまで生え続ける、そういう潔さに憧れるし、羨ましさを覚える。後悔ばかりの私とは違う。
神様どうか、私に来世があるならば、業の深い人間などという生き物ではなく、植物にしてください。
誰にも知られずひっそり静かに佇む、あの雑草のように。
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