小説 「吉岡奇譚」 2
2.仕事仲間たち
夫が出勤した後、私は少年を連れて近所の交番を訪れた。少年は「行きたくない」と言い張ったが、私はそれを聴き入れるわけにはいかなかった。この少年を、いつまでも【無戸籍】のまま放置するわけにはいかない。
私は、本名と顔写真が記載された免許証、ペンネームを記載した名刺、自身の著書を数冊と、少年の生い立ちや境遇について記録したノートを携えていた。
交番に居た警察官は、初めは私の証言について驚きを隠せずにいたが、やがて冷静に関係機関への連絡を始めた。
私と少年は、その日のうちに交番から警察署に移動し、そこでも事情聴取を受けた。
私は、自身に関する情報に加え、例の留学生に関する情報も警察に提供した。
少年は児童相談所に保護されることになった。彼は、それを泣いて拒んだが、あらかじめ連絡先を渡していた私は「いつでも電話しておいで」と言って、彼を専門家に託した。
いずれ、彼は児童養護施設で暮らすことになるのだろう。
しかし、どこで暮らすことになっても、彼が もし再び我が家へ遊びに来たら、私達は歓迎する。
後日、夫が在宅中に警察官が事情聴取にやってきた。やましいところなど何ひとつ無い彼は、堂々と、自身の知りうる限りのことを正直に答えた。
以後も、私達が「誘拐犯」と見なされることは無かった。
ある日、私は自宅1階の「応接室」と呼んでいる部屋でノートパソコンに向かっていた。私は、とある法人からの依頼により、障害者就労支援に関する業界誌に寄稿する記事を書いていた。
私の本業は「絵本作家」なのだが、ここ数年は一冊も出していない。そのため、仕事といえば、僭越ながらも職歴を活かして福祉関係の実用書や雑誌に寄稿するか、友人である小説家に拙い原案を提供する程度である。
絵本の担当編集者が変わって以来、私は、商用の絵を描く気が起きずにいた。
勤務先での差別的な冷遇や常軌を逸した過重労働によって人生に絶望し、自宅に閉じ篭り、取り憑かれたように自己分析と訴訟の準備ばかりしていた私を、憎しみの淵から掬いあげ、『過去』との決別のために絵本作家という新しい道を示し、プロデビューへと導き、デビュー後も長年に渡って共に実績を築き上げ、我が家のハウスキーパーの離職率が高かった頃には家事まで手伝ってくれた、もはや【神】とでも云うべき、恩義ある初代担当編集者は、人事異動に伴って、あっけなく私の担当から外れてしまったのだ。
新しい担当編集者は、私の実績こそ評価しているが、私の病態を理由に、対面での打合せを避けたがる。(表向きには「効率」と「感染症対策」を挙げるが、魂胆は丸見えだ。彼女は「精神障害者」を過剰に警戒する。)
私は、他社で文字のみの原稿を書く場合、基本的な業務連絡はメール等で済ませるが、原稿の受け渡しは先方の社屋で行うことにしている。しかし、新しい絵本の担当編集者は、それすらも渋る。
私は出版社側に「担当者を変えてくれ」という要望を出し続けているが、未だ それは叶わない。
とはいえ、初代担当編集者「岩くん」とは、今でも善き友人として、家族ぐるみの付き合いをしている。彼の子ども達を我が家で預かることもあるし、担当であった頃と同じように、私は彼に仮眠場所を提供している。
彼は、学齢期に交通事故で頭部と頸椎を損傷しており、軽度の高次脳機能障害および癲癇がある。都市部での日常生活には支障が無い程度の身体機能は保持しているが、平衡感覚に障害があるため自転車に乗ることが出来ない。また、気圧や体調によっては上肢に麻痺が出る。書籍の編集者には欠かせない言語能力に関しては【天才】の域だと思われるが、彼は事故以来「暗算」が全く出来ず、数を数えることも苦手である。食事中、食卓に並ぶ料理の見落としや取り間違い(他人の皿から食べてしまうこと)も多い。また、癲癇発作によって日中に突然意識を失うことが度々ある。(それにより、彼は運転免許を取ることが出来ない。)
それでも、彼は家族のため、病と闘う作家達のため、そして何より、愛してやまない【日本語】を正しく後世に伝えるため、懸命に編集者を続けている。立派だ。
彼は、健康な人よりも長い時間 眠る必要がある。私は、微力ながら、今後も彼の健康維持に協力し続ける所存である。
彼は、自身の経験を通じて得た心理学や東洋医学に関する知識が豊富で、疾患や怪我による「慢性的な苦痛」を緩和する方法に詳しい。本職の治療者顔負けである。
私だけではなく、夫も大変 世話になった。彼は、中途障害者となった夫の善き『先輩』として、心身の健康管理について、大いに助言をしてくれた。
執筆が一段落し、小腹が空いたので台所がある2階へ移動すると、ハウスキーパーの坂元くんが大量のイカを捌いていた。
「すごい量だね」
「今晩食べる刺身と、残りは塩辛にするんです。……足は、明日あたり揚げようと思います」
北海道出身の彼は、魚介類や肉類の調理が非常に巧い。
私の感覚だと、塩辛や揚げ物は「店で買うもの」であって、自宅で作るものではない。
彼は料理が巧いだけではなく、とても几帳面で綺麗好きだし、非常に心根が優しい。他者に対して細やかな気配りが出来、息をするように、私や夫の介助をしてくれる。彼は製薬会社での勤務経験があり、医療や福祉に対する関心が強く、特に精神医療の実態に詳しい。精神科で取り扱う様々な疾患についても、非常によく学んでいる。
大変優秀なハウスキーパーである。よそに行かれてしまっては、非常に困る。
「あ、先生。さっき、手紙が来てましたよ」
彼は、イカを触った手で食卓を指さした。
「どこからだい?」
私は、食卓に向かいながら訊いた。
私宛ての郵便物など、出版社か、役所の福祉課くらいからしか来ない。
「個人名でしたよ。何とか……稀一さんて方です。ファンレターですかね?」
本物の「ファンレター」なら、自宅ではなく出版社を通じて私書箱に届くのだが、彼はそれを知らないようだ。(単に、私の伝達不足である。)
私は、その小さな友人からの手紙を、アトリエで開封した。
児童養護施設で暮らすことになった少年は、好きな漫画のキャラクターのイラストを添えて、私に近況を報告してくれた。(思いのほか綺麗な字である。)
施設での暮らしと、人生で初めて通うことになった「小学校」というものについて、ぼろくそに書いてあるのを読みながら、私は思わず「がんばれ!」と、紙に語りかけた。
どうせ暇なので、私は返事を書いてやることにした。(私は基本的に、ファンレターには返事を出さない。)
その後も、少年からは年に5〜6通は絵手紙が届くようになった。
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【3.旧友】
https://note.com/mokkei4486/n/n043c8cab9f40