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小説 「僕と彼らの裏話」 16

16.不穏

 僕が先生宅の玄関周りで掃き掃除をしていると、見慣れない男性に「お兄さん」と、声をかけられた。
 彼は、値が張りそうな黒いスーツの中に、派手な柄のシャツを着て、ネクタイはしていない。よく日に焼けていて、マリンスポーツが似合いそうな風貌だ。マッサンが愛用しているのとよく似た「色眼鏡」をかけている。年齢は、50歳前後だろうか。
 正直、あまり深くは関わりたくない。道を教えるくらいなら、別に構わないけれど……。
「真田さん家の……『悠介さん』てのは、あんたかい?」
「いいえ。僕は、こちらのお宅で雇われている人間です。……坂元といいます」
「あぁ、そう。悠介さんてのは、ご主人?」
「そうですが……」
「ご在宅?」
「お仕事で、関東に行かれています。来月まで、お帰りにはなりません」
警戒すべき相手だと感じ、嘘を答えた。
 こいつは、悠介さん本人とは面識が無いにも関わらず、少なくとも名前と性別、住所を知っていて、連絡も無しに突然来たのだ。「そんな人は、住んでいません」と、突き放しても良かったかもしれない。
「失礼ですが……お名前と、ご用件をお伺いしても、よろしいでしょうか?」
彼は「真面目ちゃんだねぇ」と呟きながら、上着の内ポケットから名刺入れを取り出し、中の一枚を、片手で僕に突きつけた。僕は、あえて恭しく両手で受け取った。
 ごくありふれた片仮名4文字の社名と、何の変哲もない氏名。もちろん後で確認はするけれど、ダミーのような気がする。
「会社の名前を言えば……ご主人は解るよ。『連絡待ってます』って、伝えて」
怪しい男は そう言い残すと、僕に小さく手を振って、大人しく坂を下りていった。
 胸騒ぎがする。

 僕は、早速 先生にそれを報告した。先生は、怪しい名刺を手に、いとも あっさりと「借金取りか何かだろう」と言った。
 僕も、正直そんな気はしている。悠介さんの父親が、どういう人物か……知っている身としては、先ほどの男は「ヤミ金融」「詐欺グループ」「反社会的勢力」の、いずれかに属している気がしてならない。
「大方……父親が、本人に無断で連帯保証人か何かにしたんだろう……【無効】だよ。そんなものは」
これしきの事で、動じる先生ではない。
「次に こいつが来たら、私を呼んでくれよ」
「いや、先生の身に何かあったら……!」
「何だ、それは。社交辞令かい?」
挑発的に、それでも冗談と解る口調で、先生は笑った。
 先生は、どちらかと言えば好戦的だし、事実として、戦えば強い。相手が成人男性でも、圧倒しうる。
「……家にまで来るなんて、嫌ですね」
僕は、話題を変えた。
「確かに。……それにしても、こいつは悠介の、今の姓を知ってるんだよねぇ……?」
先生が言わんとすることは、僕でも分かる。
 彼は、結婚して姓を変えたことを、親族の誰にも伝えていない。とはいえ、勤務先の人間なら、簡単に知りうることである。今日来た男が、父親が作った借金に関する来訪者だと仮定した場合、勤務先を通じて情報が漏れた恐れがある。
 先生は、しばらく名刺を まじまじと見て何かを考え込んでから「煙草を吸ってくる」と言って、3階に消えていった。
 2階のベランダにも灰皿はあるけれど、先生は独りになりたい時、必ず3階で吸う。かつてアトリエだった部屋は僕らにとって、やはり未だに【禁断の部屋】で、よほどのことが無い限り、誰も立ち入らない。その奥にあるベランダは、先生だけが立ち入れる【聖域】だ。

 僕は、自分のスマートフォンで、例の社名をネット検索する。同じ名前の会社は際限なく出てくるけれど、住所が一致するものは出てこない。
 試しに住所で検索したら、企業や店舗ではなく公立小学校が そこにあった。
(やっぱり、ダミーだ……)
怪しまれた瞬間の、その場凌ぎのためだけに作られた、偽物の名刺だろう。


 煙草を吸い終わった先生は、アトリエのクローゼットに仕舞い込んであったという六尺棒を引っ張り出してきた。
「……どうして、そんなものが在るんですか?」
「んー?『創作の参考にするため』だよ。……槍を使うキャラクターについて考察を深めるために、買ったんだ」
「……まさか、それを朝早くに公園で振り回したりしてないですよね?」
 先生は「ふふふ」と笑っただけで、否定しなかった。
「借金取りなんか、これで、ぶちのめしてやるよ」
この先生なら、可能だとは思う。
 夜になって、帰宅した悠介さんに、先生が念のため怪しい名刺を見せていたけれど、彼は「こんな奴、知らねーわ」とだけ答えた。
「たぶん、借金取りだよ」
「はぁ!!?俺、借金なんか……!」
彼は、腹立たしげに名刺を先生に突き返してから、思い出したように「親父か……」と呟いた。
「おまえが、自分でサインして『保証人』になったものは在るかい?」
「あるかよ!そんなもん!!」
「……それなら、良いんだ。次にこいつが来たら、私がほふってやるから」
「ほ、ほ……何?」
「“屠る“のは、やめましょう!先生!」
彼は その単語を知らなかったのか、ぽかんとしているけれど、僕は思わず口を挟んだ。
 先生は、本格的に「ファンタジー小説」の構想を練り始めてからというもの、積極的に「武器」を集めているし、日常的に血生臭い単語を口にするようになってしまった。ご本人は「戦」や「狩猟」のシーンを通じて「死んだものは蘇らない」をという【理】を描き、キャラクターが死なないゲームや「転生もの」の作品に慣れきった子ども達に、改めて【生命の尊さ】について訴えたいのだと、仰るけれど……。
 警察に目を付けられたら、厄介だ。
「単純に『打ち負かす』という意味だよ。……バラバラには、しないよ」
先生は「安心しなよ」とでも言いたげに微笑んで、小首をかしげた。
「……君は、本当に真面目だなぁ」
 悠介さんが「バラバラ?」と訊いたのには構わず、先生は小さめの声で「驚かせて、ごめんよ」と謝ってくれた。
 僕はただ、不恰好な黙礼で応じた。


 帰宅後、珍しく部長から着信があった。
「はい坂元です。……どうされましたか?」
「おう。修平の野郎が……『おまえの彼女と、連絡が取れない』と、騒いでいるんだが……」
「僕、毎日普通にLINEしてます」
「……そうか。解った」
修平が、宮ちゃんに「着信拒否」および「ブロック」をされているようだ。
(何したんだろ、あいつ……)
 その後、部長は ご自身と修平の近況について端的に教えてくれた。部長は、僕に頼んでいたような事を、今は修平に頼んでいるらしい。
「あいつは、魚を切るのが下手だな」
不満げな声だ。表情が目に浮かぶようである。
「あいつは……肉にしか興味がありませんから……」
「けしからんな」
「鍛えてやってください」
「うむ」
魚を、ただ切り開くだけなら部長ご自身にも出来る。ただ、ご本人曰く「寄生虫が居ても、俺には見えない」ということで、刺身で食べる時は必ず誰かに頼むという。
「ところで、おまえの体調は……どうなんだ?元気か?」
「はい、おかげさまで」
「大事な時期だからな……羽目を外すなよ」
「肝に銘じておきます」
「おまえは……大人しいようで、案外簡単に『おだつ』からな。油断ならん……」
(※おだつ……北海道弁で「調子に乗る」を意味する単語。)
「部長、いつの間に そんな方言を……」
「素直なのは、善いことだ。物腰が柔らかいというのも、善いことだ。
 だが、おまえは これから【大黒柱】になるんだ……もっと、どっしりと構えるんだ。岩のように……山のように……」
「は、はぁ……」
「来たる者を拒まず、去る者を追わず……」
唐突に『説法』が始まった。
 僕が「もしかして、お酒飲んでますか?」と尋ねると「飲んどらんわ!」と『豪傑笑い』が返ってきた。
「失礼しました……」
 他にも二つ三つ、他愛もない話をしてから、電話を切った。


 修平の「生存確認」をしてくれる人が出来て、本当に良かった。あれほど頼もしい「お隣さん」は、そうそう居ない。


次のエピソード
【17.技を磨く】
https://note.com/mokkei4486/n/n65f9f40852c5

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