虐殺のスイッチ 森 達也 ちくま文庫
けっこう前から読み始めていたのだけど、なかなか読み進める事が出来なかった。
著者のキャラには共感できるし、文章も平明で読みやすい、論旨も明解だけど、ちょっと読んでは本を閉じて、しばらくは開く事が出来なかった。
著者は地下鉄サリン事件が起きた直後に、オウム真理教の施設の中で信者達を取材している。死刑になったサリン事件の実行犯達とも交流している。
そこで、オウム真理教の信者達が、サリン事件の中で実行犯も含めて、とても温厚で誠実な人間であることに非常に驚く。
なぜ、こんな普通の人達が、あんな事件を起こしたのか?答えを見つけない訳にはいかないと著者は強い想いを感じた。
人間の歴史は虐殺の歴史。カンボジア、中国の文化大革命、関東大震災の朝鮮人虐殺、ナチス、ずっとリストアップしていける。
虐殺に加担したのは、何処でも普通の人達だった。単独で猟奇的事件を起こすサイコパスは非常に珍しく、滅多に現れない。
人類に災厄と恐怖をもたらしたのは、ごく普通の人の、集団だ。
普通の人が、状況次第で平気で虐殺を行う人間になることは、アイヒマンテストという心理実験によって証明されている。科学的裏付けのある真実なのだ。
つまり、あなたの隣でスマホの子供の写真を見て微笑む優しいお父さんは、状況によっては数百人の人間を拷問にかけて殺し、苦しみ泣き叫ぶ人を見てゲラゲラ笑う人間に変貌してしまう。
この事は、実証されていて疑問の余地は無い。
どこで虐殺のスイッチが入るのか?集団化が大きな鍵だと著者は考える。
人は集団になると、思考力が低下して誤った決定をしやすい。リストアップするのは面倒くさいので端折るけど、これもいくらでも事例がある。
今だと大阪万博ですね。参加国はやる気がない。ゼネコンは作る気がない。国民は関心が無い。別に今世界に向けて発信するメッセージがある訳でもない。
生命輝くどうたらこうたら、中学校の文化祭のテーマみたいな内容不明のスローガンがあるだけだ。
寿司屋で酒を飲みながら誘致を決めたらしいイベントに、最悪5000億円の資金がつぎ込まれ、手にするのは再び更地に戻った埋立地だけだ。
失敗から学ぶことは多いけど、愚行から学ぶことは何も無い、後悔だけが残る。
集団の中で誤った決定がされたとしても、忖度と同調圧力のために修正することが出来ず、みんながこれは間違っていると思っていても、誤った方向に向かって突っ走ってしまう。 これを集団浅慮という。
この本によると、ヒトラーはユダヤ人を虐殺するような命令をしていないそうだ。いつの間にか集団の中でも始まってしまい、始まってしまうとヒトラーでも止める事が出来なかった。
集団浅慮。これはとても重要なワードだ。是非とも広く知らしめてほしい。言葉の力は強い。
みんなが間違った方向に進もうとしている時、誰かが、これは集団浅慮だろう!と言えば、みんな目が覚めるはずだ。
ウクライナやガザ地区で悲惨な戦いが起きているけど、客観的には今は人類史上もっとも平和な時代になっている。人間は学んだのだ。他者に対して寛容であることの重要さを。しかし、また新たな不安の種が!
ネットだ。エコーチェンバー現象によって、偏った考えを共有した集団が何をしでかすか、予測することは出来ない。
とても面白い本です。今このタイミングで読むべきです。絶対に!メンタル的にはキツいものがありますが。
著者は報道する側にも長く居たので、報道に対しても客観的で批判的な視点を持っています。例えば捕鯨問題です。
かつて日本は捕鯨を中止しろという欧米からの声に感情的に反抗していました。捕鯨は文化だ!鯨肉が食べられなくなる!と。
しかし、この本で指摘されて、僕も初めて気がついたのですが、今の日本人は鯨肉なんて食べていない。スーパーで売っているのを見たことが無い。別に捕鯨を止めても困らなかった。それでも強く反抗したのは、ここでも補助金と利権と不正が絡んでるようなんです。
最近はAI生成画像によるフェイクニュースによって報道の客観性が危うくなると問題視されてますが、それ以前の活字メディアにしても、客観性のある報道などしてこなかった。
と、うんざりしますが。