見出し画像

龍の背に乗れる場所 2

 意見というのは自分を苦しめる。

 喋る分にはまだ良いが、何かに書き記してしまうと取り返しがつかない。その時そうだと思う事があっても、時間の経過と共に意見は変わるものだ。それが大きな変化であれ小さな変化であれ、確かに変わる。

 そんな時、私は縛られる。
 過去と現在に縛られ、ちっぽけなプライドに縛られ、虚栄心に縛られ、新しい意見を言えなくなる。

 だから、そう。

 だから、今日は仕事を休んだのかも知れない。

 ・

 人の多く集まる場所に出かけ、路上に茣蓙を敷いて色紙を並べる。
 色紙にはデタラメな文学と、ほんの一握りだけの本音。あとは希望という名の適当なスパイスを撒き散らす。

 その時その時に思いついた事を書いていくので、常連さんがもしいたとすれば、その矛盾に気付き、大いに私を軽蔑しただろう。

 信念がある方が良いとされるこの国では、古臭い考えに囚われて自分の意見を変えない人が多すぎる。思考停止なんて私に言わせればクソ食らえだが、適当に書いた私の詩なんてもっとクソ食らえだ。

 人混みに酔わず、恥辱心を気にしなければ最もこの世で自由な仕事。
 好きな日に働き、好きな時間に帰れる仕事。

 路上詩人。

 それが仕事と言えるかどうかは微妙な線だが、とにかく私は高校を出てからずっとこの仕事を続けている。反対したであろう両親は既に他界しており、親戚も兄弟姉妹もいない。気楽なものだ。

 色紙の値段は様々で、安いものは五百円だし高いものは五千円。どれもこれも代わり映えしない文章で、酷いのだが、プレミア感を演出するのに金額の差ほど明確なものは無い。

 金額さえ違えば同じ物でも高いほうが良いと感じるのだから。
 そこにさも勿体ぶった価値を見出すのが人なのだ。

 否定するなら近づいてこなければいい。汚い魂胆で擦り寄ってくるのも願い下げだ。漠然とした、否定されがちな言葉だけれど、私は自由に生きていたい。

 尤もらしい、二日酔いから来る倦怠感を擁護した自分への言い訳も終わったので、ゆるりと起きて神社へ向かってみよう。

 今日は確か蚤の市があった筈だ。

 ・

 黒いタンクトップに履き崩したジーンズ、その後ろポケットに全財産八千円を入れて家を出た。蚤の市へ向かうのに商店街を歩き、立ち並ぶ老舗風の店に紛れてひっそりと営業しているコンビニへ入った。私の幼い頃は確か電気屋で、その後はゲームソフト屋、そして数年前にこのコンビニが出来たような記憶がある。

 特に買う物は無かったが、無料の冷気というのは猛暑には有難く、短い距離を歩いただけでビショビショに汗濡れたタンクトップをキンキンに冷やしてくれる。雑誌コーナーや弁当コーナーを適当に見回り、気が済んだので店を出た。

 それから暫く歩いて、右手にぶら下げたコンビニのビニール袋に驚いて中身を確認した。無意識に缶ビールを一本買っていたらしい。猛暑と冷気のコラボは人の記憶を奪うのか。それとも本能の部分で私が求めた結果か。

 悩んでも仕方ないのでプシュッとプルタブを開けて、缶ビールを呑みながら歩いた。こんな昼前からビール片手に町を歩く女なんて他にはいない。しかも顔には二日酔い独特の青さが残っているのだから、まるでアル中だ。
 いや、それで良いのか。

 動く度に出てくるゲップを楽しみながら、神社までの道程を歩いていった。

 ・

 蚤の市は狭い神社の境内だけに留まらず、入口付近の道路にもはみ出していた。
 蚤の市の語源はフランス語『marché aux puces』を訳したもので、蚤の湧いたような古着を扱っていた事から来ている。

 蚤の湧いた服を売る方もどうかしてるが、買う方もどうかしていると思わざるを得ないのだが、過去の、それも外国の文化が表す本当の意味なんて私に解ろう筈もない。

 そんな事を知らなくても蚤の市は蚤の市であり、安く古着や古道具を買えるのだから問題無い。

 境内は古道具好きの人でごった返しており、流石にこの暑い中、さらに暑そうな空間へは混じりたくなかったので、外にはみ出して開いている店を見て回ることにした。

 ・

 ある店の前を通り過ぎようとすると、文鳥が肩に乗ったような感覚がした。
 肩を見ても何もいなかったので、酒による軽い幻覚かもしれない。この調子なら、そのうち妖精でも見えるようになるだろう。

「カオルちゃんだー」立ち止まっていた正面の店から声がした。

「あ、ミキか。販売側?」

「ミキ、サンダルやさんなのー」

「へえ、見せてもらおうかな」

 商品陳列用に置かれた長テーブルの向こう側、販売側にミキがいた。その隣には怪しい風貌の男もいる。ミキの彼氏であるタクミだろう。いまいち特定出来ないのは、包帯で両目を隠すようにぐるっと巻かれていたし、その上から目のある辺りにハート型の夜に光るピンクのシールが貼られていたし、何より以前会った時よりも体格も大きくなっていたからだ。

 私は長テーブルに並べられている、幾つかのサンダルを手にとって物色した。どれもこれも綺麗で流行の形をしているが、どれもこれも手書きの様な向日葵マークと『だいすき』の文字が付いていた。

 ・

 この二人と出遭った、というか話すようになったのは私が中三の時だ。
 ミキは誰が見ても超が付くほどの美人で、少しバカなところもあり、陰で男子が行っていた『やりたい女ランキング』で堂々の三年連続第一位に輝いた女だ。タクミは中学二年生の頃に事故で失明するまで、陰で女子が盛り上がっていた『壁ドンされたいクールな男ランキング』で、必ず五位圏内に入っていた男だ。

 そんな二人が付き合ったものだから、周囲の、特に女子の嫉妬は激しく、その矛先は特にミキへと向かって、かなり壮絶な虐めに遭っていた。

 私は所謂、不良生徒ではあったが、空想で作ったバンドの歌詞を日々考えている詩人であり、フィロソフィアを自負していた事もあり、自身に被害がなければ何であれ、それが間近で行われている虐めであっても全く気にならなかった。

 自身に被害がなければ。

 ある日の休み時間、私がトイレで本気のうんこを頑張っていると、隣の個室が勢い良く閉まる音が、次いで数人がそれを追ってトイレへ入ってくるバタバタという足音がした。

 丁度、便秘が酷く、あの蓋のような、ワインのコルクのような塊と対峙しており、それを排出しようと本気の本気で気張っていたのだが、もう少しで勝負に勝てると思った時に頭上からの水で振り出しに戻ってしまった。

 隣の個室に入った奴に対して、外の奴らがバケツに汲んだ水を、扉上の空間から浴びせたのだろうが、その余波が私にも掛かったらしかった。

 うんこに敗北した私は、言い様のない焦燥感に襲われ、同時に胸の奥から湧き上がる怒りに支配された。

 徐に下着を引き上げ、身だしなみを整えた後に個室から出ると、隣の個室前に集まっていた、口元に歪な笑みを湛えながら再度バケツの水を投下しようとしていた女を殴り倒し、ついでその取り巻きも殴り倒し、それでも怒りが収まらなかったので、全員から慰謝料を五千円づつ巻き上げてやった。

 彼女達は私が「もう行け」と言うと蜘蛛の子を散らした様に逃げ去り、トイレには少し濡れたが大金を手に入れた私と、多分個室内で濡れ鼠になっているであろう人物だけが残った。

 その濡れ鼠がミキであり、色々あってそれから私達は偶にではあるが話すようになった。ミキに紹介されて、彼氏であるタクミとも知り合い、彼とは同じフィロソフィアとして何度か意見を戦わせた事もある。

 同じ町内に住んでいるので、高校時代も、その後も、偶に会うことはあったが、まさかこんな汚い神社の蚤の市でサンダルを売っているとは思わなかった。

 付き合いのよしみで千円のサンダルを買ってやり、それから暫く喋ってから蚤の市を後にした。彼女達は結婚を考えており、その資金作りに色々と副業をしているらしい。

 中学の頃から付き合い始め、その思いが褪せずにいるのだから、それは素敵な事だと思う。

 飽き性の私には一生理解できないが、それでも羨ましいと思う気持ちは確かに産まれた。

 サンダルに書かれていた『だいすき』の文字はどんな気持ちで書いたのだろう。
 文章に残した想いは、いづれ彼女達を苦しめるピースになるのだろうか。

 電信柱の下に、死にかけの蝉がひっくり返っていた。
 時折、痙攣したように動くそれは、寿命を迎えても尚、熱いアスファルトと地獄の日差しにさらされている。

 幸せに向かう想いと同じ世界で、諦めに向かう想いも併存している。

 それを見取り、どちらのウェイトに傾くのかを傍観しているのが、今の私なのかも知れない。