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龍の背に乗れる場所 1

 野蛮な表現になるが、燃えるような情緒を交わしたい。
 そしてどこまでも昇りつめ、さらにその先を味わってみたい。

 それは決して叶わないが、死ぬまでに一度はそうありたいと願うのは間違っているのだろうか。

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 一年前、私には彼氏がいた。一年前に限らずそれまでも何度かいたが、とにかくその一年前の彼氏が加納という男だった。仕事の途中で知り合って、お互いビビッと惹かれて付き合い始めたのだ。

 深い愛は求めなかった。それは私自身が根本的な所で人間というものを信じていないので、恋人にもそうあって欲しいと思っていたからかも知れない。

 加納は愛情深く身勝手で、毒舌を吐く掃除好きの男だった。どこかの大学で准教授をしているらしいが深く聞いた事は無い。

 それまで付き合った恋人は皆、加納程は正直な言葉を紡いでくれなかった。だからこそ私は加納に対してストレスを蓄積し、鬱陶しく思ったし、居心地の良さも感じていたのだと思う。

 私が自分を不感症だと認識できたのは加納のおかげだ。

 彼だけは『君は不感症だね』と眼鏡の位置を人差し指で直しながら指摘してくれた。私も猥褻なDVDくらい見た事があるので、薄々は解っていたが、言葉に出されてようやく納得できたというわけだ。

 道理で何をされても快感が襲ってこない筈だ。

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 寝起きにはウィスキーの水割りを少々、晩酌には缶ビールを五本。
 それが私の日課だった。当時、私と加納は此処で同棲しており、お互いの領域に入り込み過ぎているきらいがあった。

 夕飯の席で私が呑み始めると、加納は突然席を立って掃除を始める事がよくあった。飲んでいる近くでバタバタやられるのは苛々したが、もっと嫌だったのは掃除が終わってから必ず行われる説教タイムだった。

 加納は『いつまで青春時代の甘えを引きずっているんだ』『呑む時間があったら、掃除しろ』『酒は人生の役に立たない』というような事を三十分程言い続け、私が特に的を得た返事をしないのもあって、最後には怒って先に寝てしまうのだ。

 彼の言う事は確かに正しい。私は青春時代から今に至るまで、ずっと甘い考えで生きている。青春が何かなんて解らないが、終わらない青春病に侵されている、言わば青春時代を現役で送っているロングセラー商品だ。

 それに朝から酒を呑んでそのまま仕事に行き、時には仕事中も呑み、帰ってからも呑まずにいられないようなアル中と比べれば誰だって正しい。

 愛が深いから尚更正論をぶつけて私を自分の定規で測れるサイズにしたかったのだろう。それでも付き合った頃は『君は世界で一番自由で素敵な人だ』なんて言ってくれたのだけれど。

 結局そういう事が度々あって、私と加納は別れてしまった。
 去り際、彼の言ったセリフが今も忘れられない。

『カオル、君は一番暑い日に産まれ、本来の寿命を全う出来そうもない蝉の様だ。放っておいても死ぬのだから、僕の殺虫剤めいた言葉はもう必要ないだろう。さようなら』

 私はアル中の不感症女だが、性欲も人恋しさも人並みに持ち合わせているのだ。怠慢さも一握りの希望も持ち合わせているのだ。虚無心も絶望も持ち合わせているのだ。

 人を死にかけの蝉に例え、その蝉に言葉さえかけてくれないなんて。
 いっそ言葉で殺してくれれば良かったのに。きっと何も感じること無く楽に逝けただろうに。

 彼が忘れて行った予備の眼鏡は、今でもテレビの上で埃を被っている。

 部屋の外では蝉が賑やかに鳴いていた。
 蝉は求愛に必死で、目的のために命を削って鳴き続けるものだ。

 必死になっても、どうにもならない私は……、一体どうしたらいい?