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みんなができていることが、頑張らないとついていけないが突破したい

オンライン面談をしてきた。
緊張しすぎて、脇汗が大変のことになっている。

いまよりずっと昔のことを思いだしている。

大学四回生の頃に、周りのみんなはスーツをきて面接にむかっていっていた。ある人は、郵便局希望で試験があるといったり、今働いているところで正社員にならないかと声をかけられたなど、いろんな経緯で向かいたい場所に向かっていた。

その頃の私は、おもっきり病んでいた。

申し訳程度に説明会に向かい、緊張や自尊心がおりまざった感情だけが漠然とした不安を養分にして肥大していった。

案の定、就職しそびれてしまい人生のレールから逸れてしまった私は、まともに働けるような精神状態でもなく、その日暮らしの日雇い派遣をぼちぼちと始めるようになった。派遣を始める前は、本当に働けなかった。
我が家は、ひきこもりを許すような家ではなかったので、必然的に外ごもり生活をするようになったので、その後長きにわたり家にいつけない性質になった。家には寝に帰るくらいの感覚で、親と一緒に食卓を囲むことを極力さけるようにしていた。

あの時の精神状態で、自力で持ち上がった自分のことは、今になっておもうと偉いと思う。

当時は「自分だけに配られていない教科書」をみんな持っているんだって思っていた。

なんで気づいたら、みんなキッチリとメイクをしているの?
なんで気づいたら、みんな単位をちゃんととっているの?
なんで気づいたら、人生の方向性を決めているの?
なんで気づいたら、みんな就職しているの?

この頃に、大学卒業→就職という王道の道をいけなかったことは非常に私のコンプレックスになったし、恥ずべきことだと思いが植え付けられた。

最近になって、ようやく悟ったのは「自分だけに配られていない教科書」なんてものは幻想で。
みんな分からないことばかりで、その中でもできることをやっていくしかないから、ひとつひとつ積み上げて努力をしていた。

私はそれから逃げていただけだった。

だから、40が見えつつある今のこの年齢で、面接にメンタルがジェットコースター並みに運ばれて疲弊するけど、できることをやっていくしかないんだなってなっている。

ようやくこの歳になって、自分がやりたいことで且つ、収入を得るための仕事として成立する職に出会った。長かった。長かったけど、これだけの時間を費やし、いろんなことを自分の目で見て、頭で考えて、気持ちが心地いいと思える場所をみつけられて本当によかった。だから、受かっててくれ!!!

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ちょっくら、手術することになりました。