短編小説「あんパン好きの犬」
人生のピークは、五歳だった。十四年間生きてきて、あんなにモテた時期はない。幼稚園の帰り道、誰が僕の隣を歩くかで女子達がよく喧嘩していたものだった。
中学二年になった今の僕はと言えば、一人ぼっちで下校し、途中、いつも神社にいる変な犬の相手をしているという有様だ。
だいたい十四にもなって、僕、という奴はいない。男子はいつの間にか、俺、に切り替えているのだ。早い奴は小学校低学年から、俺、だ。俺、の響きの持つ強さ、ふてぶてしさにどうにも馴染めず怖気づいているうちに、僕は完全に、俺、に移行するタイミングを失っていた。結果、僕、と言っては女子に笑われる日々だ。
塀の上から見下ろしてくるこの白い毛の犬さえも、僕を小ばかにしているように見える。顔周りの毛量がやたらと多くてしかも長い、変な犬だ。犬というより、いっそライオンと言ってしまいたい。
「そんな長い毛ぇして、暑いだろ」
境内に座り、鞄から漫画本を取りだしながら僕が言うと、犬は軽やかな動きで塀から飛び降り、ゆっくりとこちらにやってきた。毛がなびいてまた暑苦しい。
「気の持ちようじゃ。大人しく寝とれば夏などすぐ過ぎる」
厳つい顔の癖に声が高いのも変だ。しゃべるという時点で宇宙レベルに変な犬なのだが、現に今僕の目の前にいるから仕様がない。
最初は僕だって走って逃げた。でも翌日、恐る恐るやって来た僕を見るなり「おい、アンパン持っとるじゃろ。匂いでわかるぞ。くれ」と言ってきた犬に、僕は買ったばかりのアンパンを知らず差し出してしまっていたのだった。
「犬のくせにアンパンが好物って、どこまでも犬離れした犬だな」
今日も、僕が袋から出したアンパンを当たり前のように口に咥えている。
「犬畜生ではないと言うとるじゃろ。狛犬じゃ、狛犬」
人のアンパンをムシャムシャしながらえらそうに、と思ったが口にはしなかった。
ギョロリとした目が、教科書で見た金剛力士像を連想させる。
「僕の知ってる狛犬はもっと硬いんだけど。動かなけりゃ喋りもしないし、日本の行く末をどうのこうの口出ししたりしないよ」
「全国狛犬協会会長からのお達しじゃ。今この国にはお前さんの力が必要なんじゃ。ひとまず会長にお目通りしにワシと来い」
口の横にあんこの欠片を付けた犬が、バカに真面目な顔をしてこちらを見上げてくるのを見ないようにして、僕は読みかけの漫画本を開く。
「行くわけないだろ。来週から中間テストもあるし。・・・ちなみに会長ってどこにいるの?」
「お前達のいう、永田町の地下に会長の守る社がある。この国の守り神じゃ。地上で人間が集まって国政について議論していることなど茶番じゃ。全ては地下で決められておる中間テストとやらが国より大事か」
「国会議事堂の地下で?冗談はお前の存在だけにしてよ」
この犬と喋っていると、こちらまで頭がおかしくなりそうだ。国政? 僕の力? 成績は中の上。運動は下の下。十四にもなって、僕。こんな僕に一体何ができるって言うんだ。
「時は来た」
犬が毛を風になびかせながら、手元の漫画の中の主人公と同じセリフを吐いた。
了
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