見出し画像

なぜ、書いているのか? 私の場合

極めて主観的な話をさせて頂きます。

文章を書くというのは
自分を見つめることに他ならない

書くこと=内観する ことのように考える

なぜ書いているのか?



多かれ、少なかれ
文章を書くエネルギーが生じる前には
挫折や失望、絶望など
ネガティブな体験こそがきっかけとなる


そのくらい大きな感情が動いていなかったら
文章なんて書かずに
外でスポーツなど
陽気に楽しむ人になるのだと思う


つまり
ひょっとしたらどこかに
自分を理解してくれる人がいるのかもしれない


そうどこかで期待をしているのかもしれない


それと同時に
理解してくれる人なんてきっといない
とも思う


それは
理解してくれる人がいなかった場合の
保険だとも言えるし
これまでの失望の足跡だとも言える


全部を理解してくれなくても
部分ごとに理解してもらえたら
それでよいのだ


時に
「この人は理解してくれている」という
錯覚から距離感が掴めなくなり
相手に迷惑をかけてしまうこともある



相手の幸運を心の中で祈り
時が経つのをゆっくり待つことしかできない


しかしながら
それでも書いてゆくのは
自分の思考や感情を伝えることに
意味があると思うからであり
上滑りな文章を書くためではない



誰かに何かを伝えたくて
書いている


個性こそがつるぎなのだから
誰かの流儀に従う必要はないのだろう


書いているのは
私ではなく
私を操っている魂だとも言える



そしてnoteの海には
同じ臭いを感じる人がいる



この人の言ってることよく分かる
そう思うことがある



だから同様に
自分もまた誰かに
理解してもらっているのだろうと思う



そうでなければきっと
とっくに止めていたのだろうから


そうして最初は自分のために書いていた文章が
誰かのためにもなる文章になったとしたら
それは職業として書いていけるという
お墨付きなのだろうと思う・・・・・・。




ももまろさん💗


読んで下さったあなたに今日も感謝を捧げます。

さあて、小説のつづきても書こうかな。
常時応募期間です。


どんむさんの素敵な画像を使わせて頂きありがとうございます✨



この記事が参加している募集