見出し画像

「ランプシェード」考え過ぎた件

先週の記事に使ったこの見出し画像のランプシェードは、中3次女が卒業制作として美術の授業で作ったもの。次女は「接着面が取れて壊れてきてるし、物が増えちゃうから捨てようかなぁ」とのこと。そこで、つい親心で写真など撮ってみたのです。

何の柄を描いたのかという話題になった際に

「この丸いのはさ、魂でしょ?」と私が尋ねると、速攻で
「違うよぉ」と次女が
「それ魂だったら、思想強めの人だよ」
と長女が追加の一言。
ガーン😨 (私の心中)
思わず、笑ってしまった。😅💦
あ、私、思想強めの人だったのか!? (私心の声)

自分の体験を元にしたフィルターを無意識のうちにかけて物事を見てしまうことがある。
「フラットな見方ができていない」ことに気付かされると共に、それもまた個性のうちなのかもしれないとも思う、

これまでの体験で「結婚+妊娠+流産を繰り返す経験」をしたことで「人はどこから来て、どこへゆくのか?」「何のために生まれてくるのか」という問いが実感を伴い、頭の片隅にあったことで「魂に見えてしまった」のだろう。

でも、中学生がそんなこと考えるはずもありませんよねぇ・・・・・・。😅✨

ちなみに見出し画像の絵は「海で丸いのは水しぶき」なんだそう。
ちなみにしっぽは
「鯨なの?それともイルカ?」と尋ねると
「それは鯨でもイルカでもどっちでもいいの。見る人の自由」とのこと。

その言葉を聞いて
「ちょうどいい加減に育ってくれているのかも?」
と感じた。

流産を繰り返していた不育症だった頃、長男の嫁として「生まれてくる子は男の子でなくてはならない」という意識に捕らわれていた。

ある時ふと「どっちでもいいや」と思ったら気持ちが楽になった。こだわりを捨てたら、自分に用意されていたシナリオが進み、2回目の入院治療で長女を無事に妊娠・出産することができた。
「こだわりすぎないこと」の大切さを知った。

「まぁいっか」「どっちでもいっか」という幅があると、
何か困ったことがあっても、柔軟に対処できたり、その辛さの感じ方が減ったりするように思うのです。


え?ランプシェードですか?接着部分をアロンアルファでもう一度接着してまだ飾ってあります。次女に捨てられないように気を付けます。


【作り方紹介】
グレー紙という用紙に描いた下絵を部分ごとにカッターで切り取り、着色用セロファンのようなもので色付けするのだそうです。

ちなみに「海」がテーマでした。
「魂」を描く訳ないよねぇ💦

同じようなものを楽天市場で発見💡


noteで最初に投稿した出発点となる記事です😊