【小説】「コールドムーン~光と影の間~」第三話
私の人生で一番古い記憶は、母が泣いている姿。目を腫らし、肩をふるわせて涙していた。私はまだ小さくて、無邪気な質問をした。
当時の記憶は、まるで鮮明な写真のように脳裏に焼き付いている。リビングの焦茶色のソファに母は、うずくまっていた。まるで、子供のように、ベージュのブランケットを頭から被りながら。ソファの横には木目調のピアノがあり、当時母は、よくピアノを弾いていた。哀しげなその曲は、後にシューマンの曲だと知った。母の哀しげな演奏を耳にしながら、白い壁に掛けられた海の写真をよく眺めていた。その写真は、群青色の海がずっと向こうまで続いていて、海と空との境目は分からなかった。
「ねぇママ、どうしたの?」
俯いているママの顔を覗き込んだ。
「どうして泣いてるの?」
「パパがね、どこかへ行ってしまったの」
「えっ? パパが迷子になったの?」
「迷子ではないんだけど・・・・・・。ううん。でも、そうね。迷子のようなものかもしれない」
「一人で迷子になったの?」
「それがね、誰かと一緒みたいなの」
母は私の手を大切そうに優しく両手で温めると、そばへ寄せて私をぎゅっと抱きしめた。
「凛香ちゃんは、ママの味方よね。ずっと一緒にいようね」
「うん、りんか ママがだいしゅき」
母の乱れた髪の毛が私の頬に当たりこそばゆかった。深いため息が私を包んだ。「ママが悲しんでるからパパ早く帰ってきて。誰と一緒に迷子になったのだろう?」幼い私は考えた。考えても分からない「なぞ」を抱えながら、小さかった私は母に抱かれてそのまま眠ってしまった。
その三日前までは、父は毎日自宅に帰っていたのだ。夕食も朝食も一緒に食べて普段通りだった。母と私は父に養われて、端から見たら「仲良し家族」に映っていたはずだ。
でも私には優しい父が、母とはよく喧嘩をしていたのだ。保育園の先生が「喧嘩をしてはいけないよ。やさしくね」と教えてくれていたから、パパとママが喧嘩を始めた時は二人の間に入ろうとした。
「喧嘩しちゃだめなんだって」
パパの膝に入って顔を見上げる。
「パパ、ママにやさしくね」
その声は届かなかった。
「凛香ちゃんは、自分のお部屋でおままごとしていてね」
パパに自分の部屋に連れて行かれた。喧嘩が収まるのを待っていると、たいていはパパとママの大きな声が部屋まで聞こえてきた。恐くて部屋の隅でお気に入りの白くまのぬいぐるみを抱えて震えながら眠ってしまった。そんな日が増えていった矢先にパパはいなくなったのだ。
間もなくして母と私は、父と住んでいた家を出てアパート暮らしをするようになった。日の当たらない畳の部屋に、ふすまには破けた和紙がそのまま貼られていた。窓にはカーテンではなく日に焼けた障子がはまっていた。小さな和室はキッチンに面していて、生活のほとんがこの一部屋で済んでしまう暮らしだった。壁は鶯色でざらざらとして、前に住んでいたのは子連れだったのか、クレヨンで落書きをした跡が残っていた。
私は或る時、その落書きの横に三人の絵を描いた。父と母と私が手をつないでいる絵。きっと母には、私が何を描いたのか分からなかっただろう。あのぐるぐるとなぐり描きしたような円が、人間を表しているとは誰も思わない。
引っ越しと同時に仕事を始めた母は、毎朝、自転車に私を乗せて保育園に向かう。子供用の座席には安全装置が付いているものの、体感スピードはジェットコースターのように速かった。家を出てすぐのところには、椿の垣根がある。朱色や白い花々が交互に見えたかと思うと、竹藪が始まる。竹藪すれすれに走る母の自転車は時折、横揺れして枯れた笹の葉が私の肩や帽子に当たる。竹藪を越すと、今度は交通量の多い道路に差し掛かる。ここでは、クラクションを鳴らされることがあって、小さな私はいつも怯えていた。そんな時、母の背中をぎゅっと掴む。
「凛香ちゃん、大丈夫よ」
母の声が上の方から聞こえる。私は、目をつむって自転車が止まるのを待つ。母は、いよいよスピードを上げて保育園の駐輪場へと滑り込む。
そこは、家よりも安心な場所だった。保育園にいる時は、一人きりにならなくて済む。友達もいれば、優しい先生もいるのだ。それに何よりも給食が大好きだった。
給食の時間は、温かく、満たされている時間だった。給食の時間がずっと続けばいいのにと毎日、願った。必ずおかわりをして、夜の空腹に備えた。
ハンバーグやからあげなどは勿論好きだったが、一番好きだったのは親子煮だった。園庭で遊んでいる時、給食室から風に乗ってくる空腹を刺激するまろやかな醤油と出汁の香りは、父がいた頃の家族の団らんのイメージを運んでいたのかもしれない。にんじんの鮮やかな朱色と玉葱の風味と鶏肉は、幼い私をその瞬間、心地良さで満たしてくれた。他の子が嫌いな野菜だって、私にとっては何物にも変え難い御馳走だ。
そして「野菜を食べること」は父親との愛情をつなぐ唯一のものでもあった。父がいた頃、野菜を食べるとたくさん褒めてくれた。
「凛香ちゃん、野菜を食べると体が丈夫になるよ」
調子に乗って野菜を食べる私に、父はさらに目を細めた。
「自分から野菜を食べるなんてとってもいい子だ」
食事の後、父は私を膝の上に載せて頬を寄せて頭を撫でてくれた。頭を撫でながら何度も何度も
「凛香ちゃん、いい子だね」
と言ってくれた。そう褒めてくれた父はもういない。私が「いい子」ではなくなったからなのだろうか? 幼い私は、本気でそう思っていた。
「私がもっといい子になって、野菜をたくさん食べていたら、パパはきっと戻って来てくれるに違いない」と信じていたから、ほうれん草だって、ブロッコリだって、にんじんだって残さず食べることができた。給食を主な栄養源として、私はかろうじて成長していった。成長曲線の一番下を低空飛行していた。
保育園に迎えに来るのは、祖母だった。助手席のチャイルドシートに座ると、私は今日あった出来事をたくさん祖母に話した。「初めて鉄棒で前回りができたこと」「三輪車の取り合いをしたこと」「給食で大好きな親子煮が出たこと」「お昼寝の時、なかなか眠れなかったこと」保育園で一日過ごして心の中に溜まった「聞いて欲しいこと」を吐き出していたのかもしれない。
祖母は運転しながらも、私の話をじっくりと聞いてくれた。母と二人暮らしになって、祖母と過ごす時間が増えた。祖母はいつも厳しい表情をしていたが、私は愛情を感じ取っていた。
でも大好きな祖母は少しの時間アパートで一緒に過ごすと、自宅へ帰っていくのだ。
「食堂の仕事がまだ残っているから、凛香ちゃんまた明日ね」
この言葉を聞く時はいつも、泣きたい気持ちをぐっと我慢した。
「うん、ばあば。またね」
恐らく祖母は、私が一人で夜を過ごしているとは思わなかったのだろう。
「もうじき、ママが帰って来るからね」
言い残して帰って行った。祖母は大抵、お菓子や食堂の残り物のおかずを置いて行ってくれた。それが夜、口にすることのできる唯一の食べ物だったから「夕食を囲む」ことが、毎日するものだとは知らなかった。
祖母からもらった僅かな食べ物を口にしたら、すぐに布団にくるまって眠ろうとした。眠ることこそが、淋しさや一人ぼっちの恐さを紛らわす唯一の方法だったのだ。風が窓をガタリと揺らす音でさえ恐怖だった。一人でトイレに行くこともできなかった。
なかなかすぐには眠れなかった。その当時、母は私が起きている間に仕事から帰って来ることはなかった。頭までかぶった布団の中で「早く朝にならないだろうか」と願いながら、いつの間にか眠りにつく日々だった。
珍しく母がこんな時間に家に居るのは、日曜日で休日出勤しなくていい日だからだ。仕事が休みの日は、母が食事を作る。この日ばかりは、中学生らしい生活ができる。自分の好きな動画を見たり、本を読んだり、受験勉強の合間に気分転換できた。
夕食のテーブルには、おでんの土鍋からほんわりと湯気が上がっている。醤油と出汁の効いた香りは冬になると恋しくなる。この香りは、食欲を刺激するだけではない。「家族というものは温かい食卓を囲むもの」という憧れをも満たしてくれるようで心地良かった。
でも静か過ぎる食卓は、何かが欠けているようだった。
私は、テーブルの上の湯飲みを取って二人分のお茶を注いだ。この湯飲みは私が小学校の修学旅行で東京に行った時のおみやげだ。母と私の名前をそれぞれのコップにペイントしてもらった。今日の母は機嫌が良さそうだった。私はそういう日を見計らって「母の愚痴」が始まる前に、言いたいことを伝えるようにしている。
「ねえ、お母さん。私は将来、結婚しない。仕事に生きるから」
私は好物のおでんの卵を頬張りながら言った。
「えっ? 最近の人は結婚しながら仕事を両立してる人、多いよ」
母は慌ててそう言うと、おでんの大根を熱そうに口に含みながら、結婚生活がいかに素晴らしいものなのか、自分の場合は例外だったことを付け加えながら説明を始めた。
「お母さんの場合はね、たまたまあの人が外に女性を作っちゃってね、仲が悪くなってしまったの。普通はね、結婚したら幸せになれるものなのよ」
「お母さんが言ってもね、説得力ないよ」
「そうよね。お父さんと離婚してるものね」
母の横顔には少しシワが増えていた。
母は自分に余裕がある時には、私の話に耳を傾けてくれた。昨日あった授業の面白い話や、友達の話、それから自分の話。こういう日もあれば、機嫌の悪い日には、ひと言も言葉を交わさずに夕食を食べることもあった。
ふと土鍋を見るとおでんの具は、こんにゃくと大根しか残っていなかった。大抵余るものはいつも同じだ。
「凛香は、お父さんと会いたいと思う?」
母は、私の目の動きから本心を探ろうとしている。突然の質問に私は黙ってしまった。考えたこともなかったのだ。
「お父さんね、実は毎月五万円ずつ養育費を送ってくれてるの。五万円なんかじゃ実際は足りなくて文句を言いたいくらいなんだけどね。大きくなった凛香に会いたいだなんて言い出したのよ。勝手よね」
突然の話に、全身に衝撃が走った。
「会いたい?」
聞いてきた母自身が困惑気に見えた。私に判断を押し付けようとしている。
「会いたいかどうかなんて、わかんないよ!」
感情を抑え切れなかった。立ち上がった勢いで荒々しい足音を立てながら自室に戻った。取り皿には、おでんの大根を残したままだった。自室のドアの鍵を閉めると、ベッドの上に仰向けになった。
初めて、母から父親の話題が出たかと思ったら、次は「会いたいか?」だなんて分かるわけもなかった。これまで触れてはいけない話題のような暗黙の了解があったはずだ。母自らが、それを崩すだなんて思いもしなかった。
意識の向こう側で、私は父のことが嫌いなのだと思う。無意識のうちに拒否をしている。だから、男性に好感が持てなかったり、喧嘩ごしな口調になってしまったりするのだろう。でも実際には、父のことを嫌いになれるくらいの思い出もなかった。
唯一の思い出は、父に褒められたくて野菜を一生懸命に食べていたことくらいなのだから。母が、父への不満をいつまでも聞かせるものだから、私の脳内には母親が抱く父のイメージ像が塗り重ねられ蓄積されてきた。それ故に「結婚生活は希望がもてない」という価値観は私自身を構成する一部となった。
結婚とは都合のいい幻想なのだ。結婚したら「幸せ」になれるなんて本気で思っている人なんているのだろうか? 相手に自分の理想を投影して成り立つ関係なのだろう。私は、そこに「幸せ」を求めたくない。結婚して後で後悔したくない冷めた中学三年生なのだ。結婚したことで、母は何か得られただろうか? 強いて言うならば、私が生まれたことで母は今、孤独ではない。
仕事に生きたい私にとって「結婚生活」は、仕事の壁になるだけだ。将来は、海外で英語を使った仕事をしたい。青年海外協力隊員としてアフリカに行きたいという気持ちは消えていなかった。誰かの役に立ちたいのだ。治安が悪い国に配属される可能性もある。それでもいいと思っている。例えば、アフリカの子供たちの役に立って命を落とすのならば本望だ。
翌日は英語のスピーチテストの日だった。三時間目の外国語では、英語で将来の夢について語った。春翔は将来、医者になりたいと言っていた。初めて知った春翔の夢は、学校に通えない子供たちの病気を治したいという、極めて真面目でやりがいのありそうなものだった。英語らしい抑揚のある発音で、ジェスチャーまで付けてスピーチをしていた。「なーんだ。春翔は英語得意なんだ」と思ったら、途端に自分の番が心配になった。
私の番になった。自分の席を立つ時、深呼吸をしてから前に移動した。私は、将来、英語を使った仕事をしてみたいということ、青年海外協力隊員として人々の役に立ちたいことを伝えた。練習通りに無事にスピーチを終えることができた。みんなから拍手をもらいながら席に戻る時、ふと浮かんできたのはアミーナちゃんの笑顔だった。
アフリカの子供たちの無垢な笑顔は、私の頑なな心を溶かしてくれるのではないか? アミーナちゃんに私が必要なのではなく、私にアミーナちゃんが必要なのかもしれない。
先週、図書館から一緒に帰って以来、春翔は学校の帰りも私を待ち伏せして一緒に帰ろうとしている。私はあまり嬉しく思わない。私の不機嫌を春翔にぶつけることになるからだ。春翔の親切を素直に喜ぶことができないのだから。この性格は、恐らく環境が作り出した欠落みたいなもの。
本当は嬉しいと思うようなことに、イラついてしまう。
「凛香ちゃん、英語のスピーチ良かったよ!」
帰り道に春翔は、笑顔で伝えてくれた。それなのに私の口から出た言葉は醜かった。
「春翔の方がスピーチ上手だったから、それって嫌味?」
我ながら、なんてかわいげのない女子なんだろう。好かれるはずもなければ、愛される訳もなかった。
それなのに、心臓の強い春翔は、私が歩く横をさり気なくキープして一緒に帰ろうとする。「ありがとう」がかわいく言える女子だったら良かったと心から思う。私は少しずつ、春翔のことが気になり始めている。なのに、態度を一行に改めることができない。
一緒に帰る度に、嫌われていくのかもしれない。そう思うと、春翔と一緒に帰ることが苦痛に感じてしまう。自ら嫌われるようなことを言って、自己嫌悪に陥るのだから。私はこんなにモヤモヤしているのに、春翔は横で何食わぬ顔をして歩いている。しかも、私の歩く速度に合わせて歩いている。何か面白いことを探して、私を笑わせようとしている。春翔が「信頼できる人」だと気付いた私は、少しずつ彼を好きになっているのかもしれない。そう思うと、自分の不器用さが許せなくて、切なくて、悲しかった。
口から出る言葉が真珠のようだったら良かったのに。昔読んだ童話を思い出した。私の口から出るのは、蛇や蛙のように醜い。しかも、男子に対してその現象は顕著に起きるのだ。女子とは普通に話すことができる。相手が女子なら、真珠のような言葉や、薔薇のような言葉でだって話すことができる。
でも男子に対しては、春翔に限らず普通に会話をすることが成立しない。蛇や蛙のような言葉で話すくらいだったら黙っていた方がいい。だから私は、男子とはほとんど口を利いたことがない。喋ることができるのは、春翔くらいだ。でも春翔に対しては、暴言を吐いているようなものだった。今日もこんなことを考えながら、無言で春翔の横を歩いていた。
「凜香ちゃん、そんなに考えなくたっていいんだよ。僕は凜香ちゃんにならどんなことを言われたって平気だから」
春翔は人の心が読めるのだろうか? 前も、心の中に隠した感情を見透かされていたことがあった。
「思ってもないことを口走って、傷つけちゃうのが怖い」
「心の奥で思っていること、伝えてくれてありがとう」
春翔はどこまでも優しい。優しすぎて、傷つけたくなるのかもしれない。本当に私は性格が曲がっている。幼少期の体験は、私に男性不振を植え付けたのだろう。どうしたらいいのか分からなかった。
「また、明日」
「うん」
背中に背負った通学バッグの肩ひもをいじりながら小声で言った。
好きな人を傷つけることは、悲しい。もしかして、私の父も母に対して同じようなことを考えたりしなかっただろうか? 母を傷つけたかったのではないのかもしれない。写真でしか顔を見たことはない父は、私と同じように不器用だったに違いない。野菜を食べただけの私を褒めてくれた父。
「父親譲りに不器用な私」そう思うと、父を憎む気持ちと「仕方がなかったのだ」という気持ちが少しずつ入り混じった。