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恩師に感謝を込めて

Chamy.Koremuraさんと私

新規採用教員の時、最初の中学校で学年主任だったChamy.Koremuraさんにお世話になった。ねえさんは、中学校にあって、仕事をバリバリとこなしているかっこいい女性教師だった。お手本として見習いたい女性である。(まだ追いついていない。)今は御退職なさって、お孫さんのお世話をしたり、和服や洋服のリメイクをされたり、多彩な暮らしをされている。

姉さんは、勿論、私のクラスにも国語を教えに来て下さった。そして、その日の授業での生徒の様子を見取っては、「今日、〇〇くん、~だったよ。」と教えて下さった。「1時間という短い中で、よくこんなに多くのことを見取るものだ」と感心したことを覚えている。

また、当時(20年以上前)はまだ珍しかったと思うのだが、「働き方改革」に着手されていた。当時、同じ学年にいた子育て中の女性教師を気遣い、学年会議は給食を食べながら週に1回程度、開いていたように記憶している。放課後の時間を使わなくて済むからだ。そしてなぜ、そんなことができたのかというと、生徒たちはランチームで給食を食べるため、他の学年の先生方が一緒に見守ってくれたるからだ。姉さんの顔効きだったのだろう。

そして、今の若い皆さんには考えられないかもしれないが、年に1回学年旅行に行くために、月々1万円ずつ集金をし積み立てていた。そして、冬期休業中に同じ学年の先生方と海外旅行へ行った。姉さんの学年の時は、タイに行ったことを覚えている。英語科教師だった私は、幹事として、HISへの申し込みや、問い合わせ、空港でのアテンドをさせて頂いた。現地では、添乗員が付いた。(今では、すっかりパスポートも期限切れのまま・・・)

何が一番どきどきしたかというと、皆さんの大金を預かって、現地で支払いをすることだ。スリに遭わないように相当、注意をしていた。まさに、ドラえもんのようにお腹のポケット(小さな鞄のことですよ(^_^;))に、お金をしまい、支払いの度に、お腹から出して支払った。(イメージです。)
こんなふうにして、昔は、職場の人達と触れ合う機会が多かった。同じ釜の飯を食べているかのような間柄だった。

ある時、姉さんと一緒に、足りない文房具を買いに行った際には、駐車場でうっかり、「お母さん」と呼び間違えてしまったことを、恥ずかしくも懐かしく覚えている。今では、自分がクラスの子供たちから「お母さん」と呼び間違えられる年代だ。

そして、なんとこの時のメンバーで(多少拡大してますが)、それから何十年も、年に1回は集まり、飲み会を開いていた。コロナ禍となるまでは。最初の十年は他の方が幹事をして下さり、その後、幹事を引き継いだ。今、思うのは、この何十年もの間に、一回くらいイベントを企画したら良かったということ・・・。

なぜかって?飲み会で顔を合わせたら、お互いの近況報告はしますけど、ついつい話は遡っていくんですよね。
だから私たちは、もう何十年も、同じ話を繰り返し、繰り返し飽きずにしてきたのではないかと思うんです。まさに鉄板ネタに進化した面白話です。皆さん、話術は巧みですから、何度でも飽きずに話します。(笑)

新しい思い出を作ればよかったと、過去形で話をしていますが、いつかコロナが開けたら、バスツアーなど企画してみましょうか?
でも、最小人数が、たしか十五名以上くらいからだと思うので、単独では組めないから、やっぱりツアーで参加でしょうね・・・。

世間ではもう、バスツアーを楽しまれている段階ではあります。ですが、私たちの職業は万が一のことがあると、厳しい御意見を頂きやすいもので、まだまだ、そうした開放的な気持ちにはなれないでいるんです・・・。(泣)

でも、今年度、御勇退される方がいらっしゃいますから、その時は、姉さん、囲む会に参加して下さいね。(╹◡╹)
姉さん
ありがとうございます。そして、これからもよろしくお願いします。

追伸 「季節外れの紫陽花」の写真、ありがとうございました。

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