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思い出の旅     西安·敦煌6日間

2004年8月14天気☀
 お盆の渋滞を予想して10時前に家を出る。11時過ぎに空港の駐車場に到着。レストランで昼食、機内で読むため[幕末·維新]の本を買ってから受付のカウンターへ。出国手続きを済ませ、生ビールを飲んで待つ。

 35分遅れで出発。中国東方航空の機内は、エアコンが利かず暑くて参った。
 上海で入国審査。SARSを予防するため旅行検疫所で体温チェック。気温32℃。空港内は、エアコンが効いて涼しい。1時間遅れで西安に向かう。

 西安の気温25℃。空港は、昨年9月、元のターミナルの横に新しく建てられていた。空港からは高速道路が開通。立体交差した所は全て華々しくライトアップされ、北京と見間違いそうだ。1年で建物も新しくなり、その変わりように驚く。街もこころなしか汚れが目立たなくなったように思う。街は至るところに涼を求めて人々が集まっている。
 ホテルは、大雁塔の近く。ライトアップされた大雁塔が美しい。玄奘三蔵法師の像のある広場も涼を求める人々でごった返している。
 ホテルで両替。


2004年8月15日 天気☀
  西安を発つときは曇り空。途中から、晴れてきて、眼下に砂漠や雪山や岩山が見え、嬉しくて、眠ってることなど出来なかった。
 敦煌空港に降り立つと、澄んだ青空と鳴沙山の対照に目を奪われ、ほとんどの観光客が早速記念撮影を始める。敦煌のガイド陳春燕(ちんしゅんれい)さんが出迎えてくれる。おんぼろバスで陽関東路を西に向かって走る。トウモロコシと綿の畑が両側に広がる。写真で見慣れていたあの景色が目の前に広がる。やがて、蔡(さい)さんの運転するバスは敦煌の街に入る。流れている川は真っ茶色で、ここが砂漠の町であることを思い知らされる。ロータリーの中心に反弾琵琶(飛天)像が立つ。そこから沙州北路を北に少し走り、ホテルに到着。一度部屋に入って荷物の整理。1時間半くらい休んでからホテルのレストランで昼食。ここでやっと同じツアーの5人と顔あわせ。中華料理も大勢で食べるとおいしい。紹興酒に甘い梅干しを入れて初めて飲む。

 昼食後、いよいよ莫高窟へ。何年も前から思いを馳せていた莫高窟の壁画もうじき出会えると思うと、胸が高鳴る。
 莫高窟のガイドは、幸いにも、人手が足りなくて借り出された学芸員。個人で窟の鍵を持っていて、一般公開以外の所も見せてもらうことができた。日本語も上手で、説明も的を射たものであった。
 前秦時代から上下5層に渡って掘り続けられた石窟には色彩豊かな壁画が遺されていた。壁画を2mの高さに換算して横にのばすと25kmにもなるという。17窟の経典や仏画、古文書などが隠されていた所は数え切れないくらい大勢の人が順番を待っている。
 一番印象に残ったのは、249窟の天井近くの狩猟図だ。西魏の時代のものだそうだが、動物の動きが伝わってくるような壁画だ。写真撮影ができないので、後で本を買うことにする。

 莫高窟を出て、ツアーお馴染みの絨毯と夜光杯の工場兼売店に行く。夜光杯は買う予定だったので、作り方の説明をよく聞いてから、昨年のものよりやや大きめのワイングラスと湯呑みを値切って値切って値切って600元になったところで手を打つ。夫は、わたしがそんなに図々しいとは知らなかったと笑う。
 気温が高く、日差しは焼け付くようだ。
 近くのレストランで夕食。

 その後、鳴沙山へ。夜の観光といってもまだ日は高く、暑い。砂漠でラクダ体験。乗ってからその高さと揺れに恐怖を感じるが、後の祭り!とてもラクダの上で撮影する状況にない。少し乗り慣れたころに月牙泉に到着。ここで、一度降りて30分あまり休憩。若い3人は砂滑りを楽しむ。
 再びラクダの背にまたがり山の頂きに向かう。坂が急になり、ラクダの息なあらくなる。日が沈み、砂漠を行くラクダの影も見えなくなる。

😂ちょっと横道へ
莫高窟見学前にトイレへ。
ドアは閉まらず、落ち着いて用を足せない。ここを皮切りに、夕食のレストラン、鳴沙山の有料トイレまで、ずっとドアの閉まらない状況が続く。敦煌の空港のトイレでさえペーパーが無いのだから、推して知るべしか…。


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