「書く」ことと「振り返る」こと

「書く」こと。そして「振り返る」こと。これが能率手帳の流儀です。たったそれだけの単純なことですが、「書く」と「振り返る」というふるまいには、どちらにも考える」というとても大切な行為がともないます。

野口晴巳『能率手帳の流儀』

私も手帳にはあまり大きな目標は書かないことにしています。ささやかな目標をたくさん書いて、できたら消す。それを頻繁に繰り返しています。そのほうが達成感を何度も味わえるし、生きていて楽しくなるからです。

(同書)

「能率手帳」のおおもと、日本能率協会マネジメントセンター会長(当時)の本ということで、手帳の使い方のヒントのようなものを期待して読んだが、それ以前の話であった。手帳を使って夢を叶えよう、といういわゆる「手帳術」とは別物で、なるほど「流儀」である。それどころか、「大きな目標を設定して、それに向かってやるべきことを細かくリストアップする」(同書)ことを勧める本を、罪作りだという。

「ああなりたい、こうなりたいという明確な目標を描き出せるのはごく稀なケースです。とくに会社員として社会に出た場合、「将来」は自分の意志よりも、巡り合わせやタイミングといった偶然の要素がきっかけでキャリアが形づくられていく場合が多いのです。」

(同書)

言われてみれば全くその通りだ。他ならぬ、日本に手帳を広めた法人の会長の
言葉ということで、新鮮な驚きとともに腑に落ちた。

手帳とは元来、持ち歩いて心に浮かんだことを書き留めるためのものである。書き留めるのは、忘れたくない、見返したい、からであり、振り返ることを想定した行為であろう。ところが私が大学生になって手帳を使い始めた頃には、手帳=スケジュール帳、という感覚が主流であった。日々の予定を書く欄が本体で、自由記入欄はいわば余白であり、そこに書かれるのも、誰かの連絡先、買い物メモ、等々、あまり振り返りそうにないものである。

スケジュールはしょっちゅう見返すであろうが、それは予定を確認するためであり、振り返るためではない。あるいは、前回どこそこへ行ったのいつだっけ、などと調べるためである。スケジュールだけが書かれた手帳は、大げさにいえば手帳ではない。 (2016.12→2024改)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?