「書く」ことと「振り返る」こと
「能率手帳」のおおもと、日本能率協会マネジメントセンター会長(当時)の本ということで、手帳の使い方のヒントのようなものを期待して読んだが、それ以前の話であった。手帳を使って夢を叶えよう、といういわゆる「手帳術」とは別物で、なるほど「流儀」である。それどころか、「大きな目標を設定して、それに向かってやるべきことを細かくリストアップする」(同書)ことを勧める本を、罪作りだという。
言われてみれば全くその通りだ。他ならぬ、日本に手帳を広めた法人の会長の
言葉ということで、新鮮な驚きとともに腑に落ちた。
手帳とは元来、持ち歩いて心に浮かんだことを書き留めるためのものである。書き留めるのは、忘れたくない、見返したい、からであり、振り返ることを想定した行為であろう。ところが私が大学生になって手帳を使い始めた頃には、手帳=スケジュール帳、という感覚が主流であった。日々の予定を書く欄が本体で、自由記入欄はいわば余白であり、そこに書かれるのも、誰かの連絡先、買い物メモ、等々、あまり振り返りそうにないものである。
スケジュールはしょっちゅう見返すであろうが、それは予定を確認するためであり、振り返るためではない。あるいは、前回どこそこへ行ったのいつだっけ、などと調べるためである。スケジュールだけが書かれた手帳は、大げさにいえば手帳ではない。 (2016.12→2024改)
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