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方丈記の世界観

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学生時代に読んだときは、何がいいのか全く分からなかった。単に、つまらない本。他の古典的文学作品と同様、全く退屈で、やはり馴染みのある舞台設定と高いエンターテイメント性、分かり易い言葉遣いの現代小説に比べると、全く面白みに欠ける、と思ったものだ。

あれから何十年か経ち、それなりに人生を歩んできた上での方丈記。その印象は学生時代とは全く違うものだった。

これでもか、これでもか、と続く災難の描写。火事、地震、政策の影響、飢饉、インフレ。

富める者が翌日には没落し、豪奢な家が次の瞬間には灰燼と化す。栄華を極めた都が季節が変わるころにはゴーストタウンとなり、政府高官が骸となって道端に転がる。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

世の中、留まるものは何もなく、幸せも変転していく。あくせくと生活する人も、その人が建てた贅沢な家も、まるで先を争うかのように移り変わり、やがて消えていく。賀茂川の河原には馬や車が通れないほど死体が並ぶ。

運命に翻弄される、という点で、財産があってもなくても、都会に住んでも田舎に住んでも、人に頼っても頼られても、人間はみな同じ。だれもがそれぞれの状況で悩みを抱え、ままならない人生に弄ばれている。

では、人間はどのように生きればいいのか。鴨長明の回答がここにつづられている。

世捨て人になった鴨長明は平穏な生活を取り入れる。ちょっとした自然、近所の10歳の子供との交流、日々の出来事に歓びを見出す。

しかし、ちょっと待ってほしい。普通の人には、この状況で歓びを見出すのは不可能ではないか。多くの人は、テレビや飲み会など、強い刺激がないと歓びを見出せない。

鴨長明は一流の教養人。だからこそ、何もないかのような世界から、歓びを抽出することができたのだ。

人生をダラダラ過ごした人と、仕事、遊び、芸術に打ち込み充実した生活を送ってきた人が無人島に流されたら、どちらが幸せに生きることができるか。

ダラダラ人にとってみたら、無人島での生活は今までとさほど変わるものではない。だらだらするだけなので。しかし、いかんせん、テレビとネットがないのは痛い。無人島の生活から歓びを見出そうとしても、見出す術を持たないのである。

充実人にとってみたら、生活は様変わり。あれほど打ち込んだ仕事はなくなり、芸術も手に入らない。しかし日がたつにつれて、無人島の生活から歓びを見出す術を身に着けるに違いない。

方丈記は教養の勧めであり、その教養とは自分の頭で考えることなのである。


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