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Artする人間のメモ 2022.9

絵を描き始めてから、自分自身の人生のゴールは常に、「何を描いていくか」という制作テーマに関する問いへの答えとほぼイコールになりつつある。

観察行為とそこで得た美しさへの感動をアウトプットすることが、絵をはじめとする自分にとっての表現行為なのだろうなとわかりはじめたのはとても喜ばしくて、シンプルな確信は人のこころを安定させ強くさせるのだなということもわかってきた気がする。私が出会った輝かしい人々のことや、心が震えた経験、最高のサービスやお店について言葉で伝えたがることもまた同様の欲求なのだと思う。それを認識した上で、Artという強力な表現手段を得たことは、やはり私の人生にとって凄まじいことだったなと思う。

「何を描いていくか」というところについて、少し考察が進んだところを記しておくと、私はたぶん『極限』を描きたいのだと思う。あまりに個別的で、あまりにも大きくて美しい差異を持つひとりひと宇宙の、可能世界としての極限を観たいし描いていきたいのだと思う。この考えはまたアップデートされる気がするけれども、方向性としては間違いないのだろうと感じている。生命がそう生まれた方向に素直に、あまりにも正直に邁進していく美しさ以上に、私の欲求を満たしてくれるものはない。

2022年8月に抽象画の制作をはじめ、9月に初めての個展をひらいた。個展が開催されるという、ありとあらゆることより先に決まった事実に引っ張られるようにして、70枚とか、それくらいの枚数をひと月でひたすら描いた。どんどん脳はパンパンになり、毎日毎晩、本当に自分は泥になるんじゃないかと思う状態で、充電がブツリと切れるように寝る日々だった。たのしかった。

「テーマは、図案は、決めてから描くのですか?」
個展で、何度も訊いていただいた問い。私の実感としては、「描いているうちに分かってくる」「描き終わってから分かることもある」のいずれかが答え。何の意図もなく、置きたい絵の具から置いていった絵の中に現れたのは、つねに「極限に向かわんとする生命の姿」や「その鼓動」や「そこに至るまでに出会い、ときに闘うであろう景色」や「そのはじまりの景色」だった。

別に、何か効果効能をうたえるようなものを生産したいというわけではないけれども、私が欲のままに描いた、描いていく作品たちはきっと、火を灯されたい生命に火を灯すこともできるような気がしている。火を灯す、とかそんな穏やかな表現ではないような気もしている。多分そこには、とんでもなく燃え盛ってしまう方向へ、人や世界を誘ってしまいたいという私の欲求が注がれることになってしまうから。極限に至れる人生を望む人にとって、その欲望を持つ自分自身に立ち返り、認め、まっすぐに歩を進めていくときの力になるような作品をつくっていけたなら嬉しいし、私自身も私の極限へと到達していきたいと思っている。

2022.9.23

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