とあるホテルの日常⑥
団体客と言っても、こんな団体もいる。
さて、今回のお客様は…
近くの劇場で舞台公演をする団体、
いわゆる「芸能人」。
舞台なので、当然のようにスタッフもいるわけなのだが
演者と裏方…こんなにも部屋のグレードが分かれるのも、ある意味「芸能界」の縮図なのだろう…
チェックインの時はホテル側も緊張が走る。
芸能界の人達は「クセ」がある人達でもあるからだ。
「私に任せてくださいよ。」と副支配人が名乗る。
「わかりました。お任せします。」
とにかく副支配人は、こういった人達には腰が低い。
普段でもそうしてもらうと助かるのだか…
「お帰りなさいませ!ようこそ、陽光ホテルへ!」
副支配人が頭を下げながら出迎える。
「今日から1ヶ月、よろしくお願いしますね。」
マネージャーらしき人が挨拶をする。
「どうぞどうぞ、こちらへ!ご案内致します!」
「お疲れでしょう、お荷物をお持ち致します!」
演者のカバンに手をかけようとした時、
「触らないで!」
フロント前が凍りつく…
「な、何か私、不手際がありましたでしょうか?」
「何あなた!さっきから、へーこらへーこらと!媚を売ろうと言う、いやらしい気もちがガンガン伝わるのよ!」
主役の人なのだろうその女性はサングラスを外した…
「あっ!」
誰もが知っている人気女優であった。
「貴方、私に摺り寄って目的は何?お金目的なんでしょ!」
「い、いえ、決してそんな事は…」
「まあまあ、こんな所でカンシャク起こすもんじゃないですよ。さあ、チェックインは、私がしておきますから、先にお部屋に行きましょう。」
マネージャーがなだめるが、女優さんは、譲らない。
「貴方みたいな人がいるって、このホテルも大したもんじゃないんでしょ!貴方!支配人なんでしょうね!」
「い、いえ、私は副支配人で…」
真っ青になりながら答えた。
「じゃあ、支配人を呼んできて!早く!」
「は、はい!」
…呼ばれてしまった。
腰の低さ「だけ」は定評がある副支配人でダメなら、ワタシは、何をすればいいのやら…
そう思いながら女優さんの元へ歩いていく。
「私が支配人の佐藤です。」名刺を渡す。
「貴方が支配人ね!あの人、どうなってるの!ちゃんと教育しなさいよ!」
「お客様、お疲れでしょう、あちらのラウンジでお話をお聞き致します。」
と促した。
ラウンジにて…
ここは、先制攻撃が有効か?と考える。
副支配人が頭を下げて、怒りを買ったんだものな。
女優のお客様が文句を言っいる間に考える。
「お客様、少し騒がしくありませんか?
他のお客様のご迷惑になります。」
一瞬で女優の口が止まった。
「私達ホテルマンはお客様が誰であっても、特別扱いは致しません。お食事もレストランでしていただきますし、お風呂も大浴場に入っていただきます。もし、お気に召されない場合は、どうぞ他のホテルに移って頂いて結構です。」
すると、その女優は
「私、人気が出てから、特別扱いばかりされて、皆にチヤホヤされて、息が詰まりそうだったの…久しぶりよ。こうやって叱られるの…」
女優から、本当だと思いたい涙が流れた。
すぐさま、ハンカチを手渡すと、頭を下げてきた。
フロント前に戻ると、心配そうな顔で待っているマネージャー達に向かって、
「私、このホテルが気に入ったわ!」
笑顔で言ってくれた。
「でも、支配人さん…」
「副支配人は、私に近づけないでね。」
「かしこまりました。」
事務所に戻ると副支配人が頭を抱えている。
「気にするな。今回はたまたまだ。」
すると、キッっと睨みつけ、
「あの女優の性格を知った上で、私がやるって事を許したんだろう…わざとだな!」
逆恨みがはなはだしい。
1ヶ月の間、その女優はフロントに遊びにばかり来て、他のスタッフともなかよくなった。
案外、気さくな人だったようだ。
千秋楽も終わり、チェックアウトの日、
「このホテルのお陰で、いい芝居ができたわ!今度はプライベートでお世話になるわね!」
と言い残し去って言った。
今では、常連さんである。
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