見出し画像

おがくずの中で その➀

私は木を彫っている。スプーンを彫っている。
挙げ句の果てに完成したカトラリー達を持て余し、詐欺まがいの価格で販売までしている。
どうしてこんなことになったのか、何を思って彫り続けるのか、長くはなるが書き出してみようと思う。

芽生え

事の起こりは小中学生の頃に参加していたキャンプだった。田舎の子供達を集めて知らんおっさんたちと一日中、または一泊二日テントで大自然の中をキャンプするというなかなかサバイバルな行事に参加していた時期があった。
人見知りだった幼いぼくは、親から離れて知らない人達に囲まれて長時間過ごすこと自体、初めの頃はちょっとしたデスゲームに参加するぐらいの心持ちだったけれど、慣れてくるとそこそこ楽しく参加していた。
そこでは山頂で朝日を拝んだり(当時はクソガキだったので朝日より山小屋でカップラーメンに夢中だった)、一日かけて上流から下流へ川を流れてみたり、何十キロとチャリで爆走したりと、あらゆる経験をした。大人との距離感も、歳の近い子供との接し方すら分からないけれど、そこではまず一人でも歩けるように自然の歩き方から教わった。
旅のお土産として焚き火臭い洗濯物の他に、持って帰って見せられるものがある日は子供心に帰宅が楽しみだった。銅を叩いて作った歪なスプーン、玉鋼を磨いて作ったナイフ、山で拾った鹿の角など、思い返せば奇妙なお土産ばかり。中でも一番評判が良かったものは竹スプーンだった。

出会い

竹を割ってカトラリーを作るおっさんがいた。興味を惹かれて作りたいと騒ぐ子供達に、あらかじめ粗く削り出された材料と小刀、そしてヤスリが配られた。ある程度指南を受けて各々作り出したが、誰もが飽きて方々に散っていっても、最後の手触りに執着して一人ヤスリ続ける子供がぼくだった。
長く自由すぎる自由時間で出会った数々の遊びの中で、衝撃的にハマったのがカトラリー作りだった。

そう、私があまりにも熱中するので、家でもやって良いよと言われ小刀を貸してもらったのだ。本当に家でまでやったか記憶が定かではないが、この時借りた小刀を返し損ねて今でもちゃっかり愛用している。

再会

習い事が忙しくなり、地獄のような義務教育時代を過ごしていくうちに自然の中での出来事もすっかり忘れていった私は、大学進学と同時に田舎から離れ一人暮らしを始めた。
「大学なんか人生の夏休み」などとふざけた事をどこかの教育実習あがりの教師が言っていたが、まあ半分くらいは賛同しよう。そこそこ忙しい学生生活や一人暮らしにも慣れてくると、夕飯の後に虚無の時間がやってくる。人は時間がありすぎると哲学を始めるらしいと倫理の授業で聞いたが、私にはそこまで時間もなかったので、普通に漠然とした不安を数えては落ち込んだ。
ある種の現実逃避なのか、都会での生活をやっていると、穏やかな田舎の原風景に想いを馳せることが多くなった。そこで思い出したのがこれまでの人生の全盛期である小学生の頃に経験したキャンプでの出来事だった。
「木でも彫るか。」
気付けばAmazonで木材を注文し、実家から小刀も引っ張り出してきた。
完成させたのはバターナイフだった。まあまあ悪くない出来に調子を良くして、一年後にはスプーンを彫った。こうしてるうちに振り返れば7、8本は完成していた。
大半は使えない木クズカトラリーだが、人にあげられるように実用性を目指して作るようになった。その甲斐あって歪みまくって自我が崩壊していたスプーンもそれなりの形を取れるようになった。

のたうつスプーン


心優しい周りの人たちからの「欲しい」という声を真に受けて、にやけ顔になりながらBASEでショップ開設を完了し、なぜか売れてしまったというのが事の顛末だ。
買ってくれた方々、ありがとうございます。使いにくくても詐欺で訴えないでくれていること、感謝しております。

擬態するスプーン

発動

思ったより長文になってしまい己が一番驚いているが、書く予定だった事を全く書けなかった。作ったものについての作品説明のようなものを言い訳がましくつらつらと書き綴る予定だった。しかしタイトルにその➀とつけたので万事解決。その➁にて懺悔することにする。

ちなみにこれを書くにあたって、三年くらい前に構想を練り、挫折したメモの残骸があったので久しぶりに読んだのだが、我ながらすごく面白かったので、今回はここで終わりにして次回予告よろしくその冒頭部分をペーストして終わろうと思う。


それは暇を極めた大学生の頃、狭い部屋の一角に作業用スペースと称してチラシを申し訳程度に敷き、古い小刀を片手に厚さ20mmの木片をバターナイフの形に削り出したことから始まる。一連の作品作りを通して気付いた私の好きにまつわる話をしよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?