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最高で最強のパワースポット

結論から言ってしまうと、最高で最強のパワースポットは「からだ」です。

私にとっては私のからだが、あなたにとってはあなたのからだが、世界中のどんな場所よりも、最高で最強のパワースポットです。



もちろんパワースポットといわれる場所にも、何らかの力があります。

自然豊かな土地なら、せせらぎや波の音はリラックスを、森林の木々が発する爽やかな物質がリフレッシュをもたらしてくれます。調和のとれた自然の風景には、自律神経を整える効果があります。

神社仏閣には、人々の信仰心によって守られてきたことの尊さと、手入れが行き届いた建築や庭から醸し出される静謐さがあります。そうしたおごそかさの中で、人は自分自身の心と静かに向き合うことができます。

長い長い年月を経て今なお姿をとどめる遺跡では、自分という個人を超えた「悠久の時間」に思いを馳せることができます。人類の起源や文明の進化を意識させ、自分もまた大いなる流れの中に在るのだということを教えてくれます。

大きな岩や樹齢の古い大木が存在感を放つような場所では、大自然の息吹、地球という星の生命力が感じられます。人智の及ばないダイナミックな営みを目の当たりにすれば、畏怖の念を抱かずにはいられません。

気のせいや思い込みではなく、世界各地のパワースポットには、訪れる人の心身を癒やしてくれる力がたしかにあります。



でも、からだの力はそれ以上です。

私たちのからだの営みは、自然と同じく調和のとれたものです。規則正しく精密で、柔軟性に富み、それでいて全体としてのなめらかさが保たれています。どれをとっても未だロボットでは再現できていないものばかりです。人のからだは、ほかの生物と同じく、創造の神秘を感じさせるほど完璧にデザインされたものです。

からだには、その人の生の歴史のすべてが刻まれています。意識が記憶しきれなかったこと、忘れてしまったようなことも、その人の経験のすべてをからだは記録しています。胎児期の記憶も、年老いて認知が曖昧になってからも、からだの記憶だけは消えることなく残っています。からだに刻まれた個人史は、世界中のどんな古い建築よりも、本人にとって意義深いものです。

個人を超えて、前の世代の歴史もからだには残っています。瞳の色や爪の形ひとつをとっても、それは親以前の世代から受け継がれてきたものです。地形や気候に合わせて体型や習慣が変化していくとき、それはDNAによって後の世代まで引き継がれます。

人類が誕生して以来の生物史も、私たちのこのからだに記録されています。潮だまりの中で細胞として生まれたときの痕跡、ウイルスの力を借りて生き延びた証拠、爬虫類だった頃の名残りが、からだのそこかしこに残っています。悠久の時間というものが、私たちのからだの中にも流れているのです。

からだには「叡智」が宿っています。

その叡智は、意思や感情を超えて、重要なメッセージを伝えてくれるものです。過去を癒やし、未来を拓いていくためのメッセージ。

からだの叡智とは、どんな御神託にも劣らない真正さで、私たちを導いてくれるのです。



からだは、脳の部下ではありません。意思の奴隷でもありません。

現代を生きる私たちは、脳で「思考する」ということを過大評価しすぎているところがあります。エビデンスを踏まえて持論を展開することや、常に客観的であろうとすることを、より知性的で洗練された態度のように思っているところがあります。

でもそれは、ごくごく表層の薄っぺらい意識に過ぎません。

温めたミルクでいえば、表面の薄い膜のようなものです。ちょっと触るとくしゃくしゃっと皺ができて崩れてしまう、飲もうとすると唇にまとわりついてうっとおしいあの薄い膜。思考する意識というのはその程度のものです。

思考を過大評価するということは、ミルクの表面にできる薄い膜に頼るようなものです。

たとえば、高熱が出るときには悪寒がします。気温が低くて寒いのとはあきらかに違う、からだの内側から震えるような寒気です。とても平気ではいられません。仕事は中断して休もう、布団があれば横になってくるまろう、と思います。思わなくてもそうせざるをえなくなります。

悪寒がすれば、ふつうは「何かおかしい」とわかるからです。高熱で寝込んだ経験のある人なら「高熱が出そうだ」「何かの感染症にかかったのかもしれない」とわかります。体温計で熱を測らなくても、からだからのメッセージのよって「わかる」のです。

でもそこで思考に頼ろうとすると、「まず熱を測ってみよう」「部屋の温度が低すぎるのかもしれない」などと考えます。体温計が手元になければ「ひとまず仕事が終わるまで我慢しよう」と思うかもしれないし、同僚や家族からクレームがくるほどエアコンの温度を上げるかもしれません。インターネットで、症状から検索してみるかもしれません。でもそれでは、情報は得られてたとしても、悪寒が消えることはないのです。

悪寒がしたら、通常通りには過ごせなくなります。「あ、なんかおかしい」とわかる。倒れ込むか、寝込む。仕事は休む。人と会うのを止める。

それでいいのです。

からだは「ウイルスが侵入した、これから熱を出す。休んで戦いに集中しろ」というメッセージを発しています。そのとおり、休めば免疫システムが発動します。熱を出し、ウイルスを殺し、発汗し、熱を下げます。

からだが伝えてくれたとおりに、仕事を休み、人と会うのをやめれば、他人に感染させることもありません。からだが発したメッセージをきちんと受けとって、それに従えば、だいたいのことはうまく運ぶのです。

頭で考えてしまうと「仕事は休めないからもう少し様子をみよう」「ドタキャンするのはまずいからとりあえず行こう」という判断をしかねません。でもそうすることで、かえって回復が遅れたり、こじらせてしまったり、人にうつしたりしてしまうこともあります。

思考することがダメなのではなく、思考する意識が間違っているのだというのではありません。ものごとを分析したり、客観的に捉えたりすることはとても大切なことです。情報や知識が無駄なわけではありません。

ただ問題は「思考する意識に頼りすぎるあまり、からだのメッセージが聴けなくなってしまうこと」、つまり「思考に偏りすぎて、からだの叡智をないがしろにしてしまうこと」です。

そのような状態が続くと、問題に直面してもなかなか解决できず、悩みは深くなり、こじらせてしまい、出口が見えなくなり、心身のバランスが崩れてしまいます。そうして藁にもすがる思いで「パワースポット」なる場所へ出かけて行くのです。

最高で最強のパワースポットが、自分のこのからだであることも知らずに。


からだこそが最高で最強のパワースポットであることに気づければ、他の何かの力を借りることも、ありがたがる必要もなくなります。

からだからのメッセージを聴くことがちゃんとできていれば、思考や感情とバランスをとりながら、人生の荒波を乗り切ることができます。



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からだの叡智を最大限に引き出すには、世界各地のパワースポットと同じように、からだを「神聖な場所」として敬意を払い、大切に守ることです。

そのための方法をご紹介します。

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