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#三題噺 「イン・ザ・クローズドボックス」 三浦新

「もしもし、そっちはどんな感じなん。うん、こっちも相変わらず。補習だるいし、部活も面倒だけど、まー、なんとかやってる。土曜日? うん、大丈夫、オーケー、じゃあゲーセンとかカラオケとか。うん、またねー、じゃ」
 匡一からの電話は、毎日昼の十二時三十分に必ずかかってくる。そして全く同じ内容を話して、十二時三十五分に切れる。十年前の七月二十八日の月曜日からずっと。全く同じ電話が、二十六歳になった私のもとに今でも、繰り返し繰り返しかかってくるのだ。

 閉鎖されている県立高校の、一年C組の教室とその周囲の廊下には、未知の病原菌でも隔離するかのように純白の滅菌ビニールで覆われている。そこへ向かう私と、同行する、政府機関員の国木田さんは、重くて動きにくい防護服を身に纏っている。
「どうして、また調査に協力してくださるんですか?」
 防護服のバイザー越しでくぐもった国木田さんの声が、隣を歩く私へぽつりとかけられる。
「どうして、なんでしょうね……」
 久々に着る防護服の重さに、息を切らしながら私は独り言のように呟く。日に日に厳しくなっていく夏の暑さもあいまって、眩暈もしていた。微かに遠くからセミの声がじりじりと聞こえていた。
「……きっと、疲れたの、かもしれません」
 ふぅ、と私は深く息を吐いて、ようやくたどり着いた一年C組の教室の前で立ち止まる。
「時間に取り残された恋人を、待つことにですか?」
 私と違って、息一つ上がっていない国木田さんが、どこか悲しそうな声音で言った。すらりと細身で綺麗な、私より年上には全然見えない三十代の女性の国木田さん。あまりプライベートな話はしたことないけれど、防護服を着るときに覗いた左手の薬指に何もないのを見るに、独身なんだろう。
「どちらかというと、私を縛り続ける、元恋人に、疲れた、んだと思います」
 開け放たれた教室の扉から見える、十六歳の匡一の姿を、私は見る。
 水族館の大きな水槽越しに見るみたいに、ぐにゃりと空間が歪んで、匡一は机の天板に行儀悪く腰かけて、スマートフォンを握っている。その表情は嬉しそうに、そして楽しそうに、若々しく笑っていた。
 教室の黒板の上にかけられた時計は十二時二十九分で止まっていて、そして匡一も時計と同じように止まっていた。
「間もなく十二時三十分です。無駄なのかもしれませんが、きい乃さんはかかってきた電話に呼びかけてください」
 さっきとは打って変わって、感情を無くしたような冷たい国木田さんの声が、教室を眺める私に容赦なくかけられる。私は力無く頷くしかなかった。
 にゅうべべべべ。にゅうべべべべ。
 防護服の手袋越しに握った私のスマートフォンが、どこか間抜けな音をたてながら電話の着信を告げた。
「箱宮匡一、ループ開始」
 国木田さんが無線でどこかに連絡している。
 そして、止まった教室の時間が動き出す。

「もしもし、そっちはどんな感じなん」
 教室の中で匡一は爽やかに笑う。私の耳に付けたワイヤレスイヤホンから、この十年間に何度も何度も何度も聞いた声が、聞こえてくる。
「……匡一」
「うん、こっちも相変わらず」
「ねえお願い、聞いてよ」
「補習だるいし、部活も面倒だけど」
「どうしてあなたが時間に閉じ込められちゃったの? あなただけがどうしてずっとずっと……」
「まー、なんとかやってる」
「どうして、私に、ずっと、ずっと……」
「土曜日? うん、大丈夫、オーケー」
「もうやめてよ、お願いだから。忘れられないじゃん、匡一のこと。ずるいよ」
 噛み合わない会話に構わず、私はまくしたてる。同じ時間を繰り返している匡一は、言葉も同じく繰り返すだけなのだ。私の声は届かない。それでも、私はずっと十年間かかってくる電話への、鬱憤じみた感情を、爆発させる。
 くそ、泣かないと思ってたのに、泣いてやるもんかと思ってたのに。勝手に目から熱いものが流れてくるのが止められない。久々に見る匡一の姿に、変わらない匡一の姿に、私は切なさを抑えられない。
「もし匡一が時間に閉じ込められてなかったら、もし私と一緒に時間を過ごすことができたら、今頃はどうなってたんだろうとか、嫌でも考えちゃうじゃんか」
「じゃあゲーセンとかカラオケとか」
 こっちの気持ちも知らない匡一は、台本のように決まったセリフを言う。
「……箱宮匡一、間もなくループ終了」
 後ろで国木田さんが容赦なく告げる。何も変わらない。匡一は今日も、同じ時間を繰り返す。
「私、色んな人と恋したよ。色んな事してきたよ。匡一の知らないことも、したこともないことも。でも匡一から電話が来るたびに、そばにいるのが匡一だったら、って思っちゃうんだよ。ねえひどいよこんなの。私をいつまで縛り付ける気なの? 答えてよ匡一」
「うん、またねー」
 そして、じゃ、と言って電話を切るんだろう。終わらないループの中に閉じ込められているのは、匡一だけではない。私もなのだ。

 このとき、十二時三十一分十一秒に、全国の警察に一斉に通報が入り、十二時三十三分に異常な事象と判断され、十二時三十四分三十五秒に国木田さんに連絡が入る。
「全国で乳幼児が箱の中に閉じ込められただと?」
 国木田さんの大声がビリビリと空間を震わせる。
 泣きじゃくっていた私はびっくりして身体を震わせて、握っていたスマートフォンを落としてしまうし、耳からワイヤレスイヤフォンも外れて防護服の中に落としてしまう。
「箱宮匡一への干渉実験は終了。直ちに今起こっている事象について情報収集に入れ」
 国木田さんが何の機関員なのかは詳しくは知らない。ただ、匡一みたいな、異常な事象に対処する機関なのだと、なんとなく私は察していた。
 呆然とその場で立ち尽くす私は、わずかに、どこかから声がすることに気付いて、あたりを見回す。私と国木田さん以外には、時間に閉じ込められた匡一しかいないはずだ。
「……も……し」
 足元から声が聞こえて、私は地面を見下ろす。
「もしもし? おーい、聞こえる?」
 蒸し蒸しする防護服の中で、私は冷汗がどっと溢れるのを感じた。床に落ちたスマートフォンは未だに通話画面で【箱宮匡一】と表示されていた。スマートフォンの時計が十二時三十六分を示している。
「うそ、どうして」
 床のスマートフォンから目線を上げて、恐る恐る、教室のほうを見る。
「ここはどこ、いや、今はいつ、って聞いたほうがいいのかな」
 教室の歪んだ空間から、めりめりめりと音をたてて、匡一が涼しげな表情で出てくる。この十年間、あらゆる手段を用いても入ることが出来なかった教室から、事も無げに。
 そして私のほうへとゆっくりと歩み寄って、背伸びをして、防護服のヘルメットを両手で掴んで私の顔を下から覗き込んで。
「きっと久しぶりなんだろうね、きい乃」
 くしゃっと幼い男の子の顔を崩して、匡一は私に微笑みかけた。
「なんで?」
「ん?」小首をかしげて、どこかあざとい匡一に、私は半ば絶叫するように詰め寄る。
「なんで私だって分かるんだよ!」
 防護服のヘルメットを投げ捨てるように取って、私は匡一に私の顔を近付ける。
「もう十年経ってんだよ! 匡一は十六歳で、私は二十六歳で、十歳も違ってるのに……私はもうおばさんに近いのに! なんで匡一は私が私だって分かるんだよバカ!」
 自分で自分が何を言っているのか分かんないなって思ってるけども、止められなかった。一気に今までの不満みたいなのを噴出させてしまう。汗だくだし涙と鼻水でぐちゃぐちゃだしきっとひどい顔だ。
「分かるよ。だって俺の彼女だし。それに、変わらず可愛いじゃんか」
「バカうっさいバカ黙れ」
 止められない悪態を吐きながら、ひーん、と私の胸元までしかない匡一の頭に私は顔を擦りつけて、また泣く。
「感動の再会を堪能したのは山々なんだけど」
 私の頭を優しく撫でる十六歳の匡一が、どこか大人ぶりながら言う。
「箱の謎を解かなくちゃ」
 何言ってんだよ、時間に閉じ込められると名探偵にでもなれるのかよ、中二病かよこいつ。いや高校一年生だよこいつは。ってボーっとする頭の中でくだらないこと考えながら、真面目腐った匡一の顔を私は見つめていた。あーもう、なんでこいつこんなに可愛い顔してんだろ。
「な、な、何が起きて」
 振り向くと、驚きのあまり身体が硬直して、ぎこちなく、ロボットみたいに歩いてくる国木田さんがいた。
「は、は、箱宮匡一、ループから脱出」
 そして、抱き合うみたいにしている私たちを、国木田さんが本当に嬉しそうに、少し涙を浮かべながら見つめているのが、防護服のヘルメットのバイザー越しで見えた。

 そして匡一は箱の謎を解いた。場所も離れていて、関係性も無い十三人の赤子が、繋ぎ目のない箱の中に閉じ込められた事件。その真相は至って単純なものだった。
「この箱の中に赤ん坊はいません」
 並べられた十三台のノートパソコンを、ちゃぱぱぱと素早く操作する匡一は、あっさりとそう言い切った。ノートパソコンのモニターには、真っ黒い鉄の箱の映像がライブ中継されていて、おぎゃあああああ。おぎゃあああああ。と泣き声がスピーカーから発せられている。
「それぞれの通信環境の違いのせいで、この赤ん坊の泣き声がバラバラなタイミングで聞こえています。しかしそれぞれのタイムラグを計算して、修正すると」
 匡一がスパパパンと十三台のノートパソコンのエンターキーを流れるように叩いていく。
 すると、おぎゃあああああ。十三台のノートパソコンが共鳴するようにして一つの泣き声が再生された。
「実際は十三個の箱から全くの同時に、全く同じ泣き声が発せられているんです。この箱は作り物の赤ん坊の音声を流しているだけです」
 ちゃぱぱぱ、と匡一はノートパソコンを次々とシャットダウンしていく。もう解決した、と言わんばかりに。
「ちょっと待ってくれ、その説明だけだと不十分だ。じゃあ乳幼児たちはどこにいるんだ? そして、犯人は存在するのか? それとも君みたいに超常現象で……」
 国木田さんが慌てて匡一に近寄る。防護服は脱いでパンツスーツ姿だ。
「第一の謎。『赤ん坊はどこにいるのか』ですが、赤ん坊は死んでますよ」
 興味なさげに冷たく言い放つ匡一に、国木田さんが言葉に詰まる。
「生きているように見せかけるための箱なんでしょう。そして、死なせてしまった罪悪感を薄れさせるためでもあるんでしょうね。開けることのできない箱に閉じ込められてしまったせいで赤ん坊が死んだ、ことにして」
「つまり、これは自分の子供を何らかの理由で死なせてしまった両親の自作自演だと?」
「第二の謎。『犯人はいるのか』に繋がるのですが、犯人はいます。そいつは、子どもを死なせてしまった親へ、この箱を送りつけたんでしょう。『この箱に閉じ込められて死んでしまったことにすればいい』とでも言ってね」
「……そいつはいったい何者なんだ? 何が目的なんだ?」
「さあ、それは俺にも分かりません」
「……しかし、十年も時間に閉じ込められていた君が、どうして最新機器や最新のソフトウェアを扱えるんだ?」
「それも、俺にもどうして分かるのか、分からないんですよ。勝手に頭の中に浮かんでくるんです」
 箱の謎を解け、っていう使命もね。と私にだけ聞こえるように、匡一が呟いた。

 私はベッドの中で匡一を抱きしめながら、すうすうと寝息を立てる匡一の寝顔を見つめる。
 匡一の両親は、匡一が時間に閉じ込められた十年の間に、心身ともに病んでしまい入院している。匡一の親戚たちは皆一様に気味悪がって近寄ろうともしなかった。
 だから私は匡一と一緒に暮らせることになった。匡一を初めて家に入れたとき、とてもどきどきした。それが不安なのか期待なのか、自分でも分からない。
「きい乃は鍵だよ。閉じ込められた俺を解き放つ鍵なんだ」
 高校一年生であるはずの匡一が、どうして、マンガや小説の名探偵みたいなことができるのか、不思議でしかないけれど、可愛い顔でそんなことを言われたら、悪い気はしない。普通に嬉しい。
 箱の謎を解いた疲れからか、匡一はぐっすりと寝入っている。そんな匡一をぎゅうっと抱きしめていると、匡一から急に、みし、みし、と何かが軋むような音がする。
 え? と少し体を起こして見つめていると、匡一の細い手足がゆっくりと長く、太くなっていって、顔付きも丸みがシャープになっていって、少しずつ大人びていく。
 やだ、可愛いままの匡一でいてよって思うけど、でも少し大人になった匡一も少しかっこよくなって悪くない。好きだ。
 ってそんなこと考えている場合じゃなくて、成長期ってこんな風に成長するのって混乱する頭で思うけど、そんなわけない。私は直感で悟る。
 箱の謎を解いたから成長したんだ。
 そして、これからもたくさんの箱の謎が匡一に挑戦してくるのだろう。匡一は箱の謎を解く使命に突き動かされて、謎を解いて、そして大人になっていくのだ。
「閉じ込め魔」
 急激に伸びた前髪を鬱陶しそうに手で払いのけながら、匡一が寝言を呟いた。
 私はまた直感で悟る。今日の、赤子の箱の謎を作った犯人がいるみたいに、匡一を時間の中に閉じ込めた犯人もいるんじゃないか? もしかしたら今日の犯人と匡一を閉じ込めた犯人は同じなんじゃないか? と。
 そしてそいつは確実に、絶対に、匡一に悪意がある。私には分かる。なぜなら、私と匡一が寝ているベッドのそばに、いつの間にか、貞子みたいな黒くて長い髪の、薄汚れた白いワンピースを着た青白い女が立っていて、そいつは両腕で抱えるようにして真っ黒い四角い箱を持っている。
 じぃ、と匡一を見つめるそいつは、ぎろりと視線を私に向けて、睨みつけてくるが、私は怖くない。匡一を渡してやるもんか。匡一は私のものだ。
 少しだけ大きくなった匡一をまた抱き寄せて、私は目をつぶる。そして私は匡一が言ってくれた言葉を思い返す。
「きい乃は鍵だよ。閉じ込められた俺を解き放つ鍵なんだ」
 ならば、匡一を守るために鍵をかけることもできるんだろう。私は匡一の鍵で、匡一は私の箱なのだ。

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