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手品と英語

このnoteを立ち上げた理由のひとつに英語の問題があります。

いまは自然言語処理の翻訳技術も向上してきたみたいなので、将来的には外国語を機械に翻訳してもらってそれを日本語として読む(聴く?)ということになっていくのかもしれませんが、特定分野の専門用語は学習データが少なそうなので手品の洋書がまったく違和感のない精度で翻訳されるのはまだもうちょっと先の話かなと思います。

近頃の手品業界は、ありがたいことに邦訳を出してくださる方も以前よりは増えてきていてもっと増えたらいいなと思います。ただ、邦訳版は英語で刊行される本の数に比べたら氷山の一角にすぎませんし、刊行数が急スピードで増えるかというと残念ながらあまり期待できないかもしれません。どうしても割に合わずビジネスになりにくいからです。

もうひとつの理由としてどうしても避けられないのが版権の問題で、読んでおいたほうが良い洋書(バーノン関係など)は英語で読まざるを得ないのが現状です。版権保有者がイエスと言わない限り、翻訳をどうやっても市場に出すことが叶わないものがたくさんあります。

今も昔も手品というジャンルは英語で発信される情報が大多数を占めるので、(最近は、映像ものが増えてきているとは言え)英語ができないのはやはりハンディキャップになります。英語ができると、アクセスできるソースが一気に増えます。

というわけで、やっぱり「英語ができるようになる」のが根本的解決法なんじゃないかという(ある種、元も子もない)結論になったわけです。

わたしの周りの手品愛好者にも英語ができない人が結構いて、この問題をどうやったら解決できるのかずっと頭の片隅に残っていました。

かく言うわたしも別に英語がネイティブレベルでできるわけではなく、ただ「手品の洋書なら読める」人にすぎません。こうなるまでにかなり苦労しました。なのに、自分が時間と労力をかけて読んだものを、また誰かが同じ時間と労力をかけて読む……という無限の繰り返しが果たしてあるべき姿なのだろうか?とどうしても思ってしまうのです。カルチャーってそういうものでしたっけ??

自分は手品も英語も教えるのもプロではないので、これまでは「偉そうに自分がやっても…」と思っていましたが、手品の洋書を読みたいけど読めないと思っている人がいるならせめてその手助けはしたいなと心変わりしました。もっと適任の方がいるのは重々承知です。やらない善よりやる偽善の精神です。

そんなわけで、どういう形にするかは探り探りですが、ここでなにかお役に立つ情報を発信できればいいなと思っています。おわり!

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