違いを認め合える仲こそ。
相性のいい人について考えている。
一般的に「相性がいい人」とは、価値観が同じであったり、近しかったりする人のことを指す。趣味が合うとか、金銭感覚が似ているとか、笑いどころが同じであるとか。
それを否定するつもりもないし、納得する部分もあるのだが、必ずしも同じであったり、似ていたりする必要はないと思うのだ。むしろ「違い」があって当然で、その違いを認め合える仲こそ「相性がいい」と呼ぶのではないだろうか。
友達に、「価値観が合わないと思ったら、その人と2人で飲みに行く」という人がいる。2人だけで、何が違うのか、どうして違うのか、何をきっかけにそう考えるようになったのかをじっくりと話し合う。「価値観の違い」という獏としたものを、少し理解できるように努める。大抵の場合、話をしてみるとその人のことが好きになるのだそうだ。そして「違いがあるからこそ面白い」と相手に興味を持つようになり、仲が深まっていく。そんな話を初めて聞いたときに、めっちゃいい考え方だなと思った。
多くの人は、価値観が合わない相手は避けるようになるのではないだろうか。話が合わないからとできるだけその人と過ごさないようにしてしまうはずだ。ぼくもそうだ。なんか価値観が合わないという人とはあまり一緒にいたくないと思ってしまうこともある。
でも、その「なんか」とはなんだろう。「価値観が合わない」とは具体的に何が合わないのだろうと考えてみるといいのかもしれない。それに合わせる必要があるのかどうかも。
考えてもみれば、全く価値観が一緒なんて人は一人もいないのだ。似ているといっても必ずどこかに違いはある。「合う」部分ばかりで人と付き合っていると、「合わない」部分が露呈したときに、途端に仲が崩れる。
もちろん譲れない価値観があってもいい。ここは最低限合わないと、と思うことだってある。でも価値観は変わるものだし、変えられるものだから、それだけを理由に離れてしまうのはなんだか寂しい。
違いはあって当然なのだ。違いを認め合い、それを楽しめるようになると仲がより深まっていくような気がする。
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