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飲み会で得ていたもの。

夕方頃に「今日はこのネタでnoteを書こう」と思っていた。それなのに、全くそのネタが思い出せないでいる。だからこうして、「何を書こうか忘れてしまった」というnoteを書いている。浮かんだアイディアのようなものは、泡のようにパッと破裂して、どこかへ消えてしまった。

自分の感情や思いなども一緒で、たしかにあったはずのものがすぐに消えてなくなってしまう。特にネガティブなものに関しては、「忘れよう」と意思が働くことで、より早く消える気がする。だからこそ、味わうことが重要だ。そのときに生まれた感情や思いを、消えてしまわぬ内にしっかりと噛みしめる。自分はこう感じていたんだな、こう思っていたのだなと認識する。そうすると少し自分と仲良くなれるように思う。

新卒で入った会社では、事あるごとに飲み会が開かれた。部署メンバー全員でということはめったになかったが、仲の良いメンバーでは週に1回は飲みに行っていた。いわゆるノミニケーションというやつだ。先輩に連れられて、仕事終わりに飲み会に参加させられていた。当時はその飲み会のことを煩わしく思っていた。ようやく仕事が終わったというのに、どうして職場の人と飲みに行かなくてはいけないのだと。

ただいま振り返ると、とても大事な時間だった気がする。仕事で上手くいっていないこと、何を考えどう思いながら働いているのかということ、今度どうしていきたいと思っているのかということ。その時に抱いていた自分の感情や思いを吐露できる場だったからだ。フリーランスとして働き出してから、そんな場はほとんどない。こうして書いているnoteが唯一、自分の気持を吐き出せる場になっている。

「職場の飲み会なんてくだらない」「そんな場所に行くぐらいなら、帰って自分のやりたいことに時間を使え」という意見にも一理あると思うのだが、あの頃の自分はそれに支えてもらっていた気もする。

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