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クリームソーダを飲みながら、毎日noteについて語り合う。

友達2人とまあるいアイスクリームと赤いさくらんぼがのったクリームソーダを飲みながら、カフェで話をしていた。何がきっかけだったのか思い出せないが、毎日noteの話題になった。友達の一人は、毎日noteを1,000日以上続けている。年数で言えば、3年以上。150日ほど続けているぼくからすると、雲の上のような存在だ。本当にすごい。

ただ彼の友達には1,200日以上続けている人もいるらしい。ぼくの知っている人だと8年ほど毎日日記を続けている人もいる。10年以上続けている人もいる。どこかの記事で読んだのだが、40年以上続けている人もいる。

比べる必要はないのだけれど、そんな人達からすればぼくはまだまだ赤ちゃんみたいなものだ。よちよち歩きをし始めたぐらい。自信を持って毎日書き続けています、なんてとても言えない。

1,000日以上続けている友達に、「なぜ続けているのか? ここまでやったら終わりみたいなものは決めているのか?」と訊いてみたのだが、決めていないらしい。とにかく自分よりも長く書いている人がいるから、その人たちが書き続ける限り書くのだそうだ。自分よりも長く書き続けている人が辞めない限り、追いつくことはない。それでも負けたくないんだ、と友達は言っていた。


毎日noteを書き続けることに、何か意味はあるのだろうか。これまでにも何度か思ったことはあるが、最近またそんな疑問を抱いている。友達は「毎日noteは読まれにくい」なんてことも言っていた。ひとつひとつの記事にかける時間が少なく、1週間に1記事、力をいれて書いたほうがたぶん読まれるんだ、と。確かにそうだと思う。じゃあ、そっちのほうがよくないか。

とはいえ、多くの人に読まれたいから毎日書いているのかと言われると少し違う気もする。書き続けることでしかわからない「何か」を探している。そんな感じかもしれない。

この先に何があるか、わからないからこそ行ってみたくなる。旅をしているとそんなときがある。この毎日noteも旅みたいなものかな。


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