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ココロの持ち方で大切にしていること

わたし、結構無敵です笑

無敵って完全無欠って意味では全然ないんだけど
わたしに敵はいないって思っています。

そう思えるようになったのは
自分に起こる事象は、よいコトもわるいコトも
いい出会いも縁のなかった出会いも、
全部、自分へのメッセージだと
受け取るようになったからです。

なぜ今、こういうコトが自分に起こっているのか
なぜ今、こうひうヒトとの関りがうまれているのか

どんなコトに気が付く必要があって
天(でも宇宙でも、神様でもなんでもいい、わたしは無宗教です)が
こういった事象を今わたしに見せているのだろう。

友人達に言わせると、わたしの人生は
かなり波乱万丈のようです笑

暗号通貨詐欺にあい、多額のお金を失いましたし
(詐欺グループは昨年捕まりましたが、当然
お金は返ってきません)

コロナ禍、その時のパートナーと
家財道具すべてを持って離島に移り住みましたが
ヒトとしての資質に多いに問題のあるヒトで
(真正のサイコパス、エゴしかない人でした)
移住して半年もしないうちに
結果的には刑事告訴し、相手は逮捕となっています。

また、その前に交際していた男性に貸した、
大きなお金で
一銭も返ってきていないものもあります。
(生活保護、難病となったその人に取り立てようにも
ホコリしか出てこない現状)

あ、全然不幸自慢したい訳じゃないんです、
わたしの中ではすべて過去完了形の出来事ばかりで。

ただ、こう言った事象が起こった時に
それを傷(KIZU)のままにしてしまうか、
ひと文字足して
気付き(KIZUKI)とするか、って
大きな違いだと思っています。

わたしは上記にあげた3つの出来事から
(他にもいろいろあるんですけどね笑)
自分が今生体験しないといけないのは
「赦す(ゆるす)」ということなのだと思いました。
そして「あきらめる」ということ。
あきらめる=あきらかに違いを認める、というコトバが
しっくりきたのです。

詐欺グループも、刑事告訴した人も、
大きなお金を一銭も返してくれない人も、
今生体験したい、と自分の魂が願ったことを
具象化してくれる役割を担ってくれたんだ、と。

「赦す」こと
「あきらめる」ことを体験したいと願って生まれてきた、
わたしの魂の願いを叶えてくれる為に
そういう役割をおってくれたんだ、と。

もちろん、ひと晩でそういう思いに至れた訳では
決してないけれど
でも、やっぱり何のために肉体をもって
この三次元に生まれ出てきたのであろうって

肉体をもってしか「体感」できないこと
色々な魂と触れ合って「体験」することを
自分の魂が望んで、この時代、この環境を選び
今回の「自分」で生まれてきたのだろうって思うんです。

30年間、ニキビや吹き出物のお肌のトラブルが続き
人目に触れるのがイヤだった自分、が
その時、もっともっと自分をみつめ、向かい合っていたら
もっと症状が治まるのも、早かったかもしれません。

わたしは何を体験したくて
こういうモノゴトが今目の前にあるのだろう

わたしは何を味わうために
こういった感情が今自分の中で起こっているのだろう

今、その感情が自分の中に巻き起こっているのは
何を自分が学ぶためなのだろう

そう考えたら、出会うヒト、出会うモノゴト、
全部自分と向かいあう、いいきっかけとなると思います。

だからわたしは、無敵。

喜怒哀楽、すべての感情を呼び覚ましてくれる出来事に
感謝をしています。

伊勢の父、と呼ばれた、中山靖雄先生の
大好きなコトバがあります。

今ここに起こりしことは総てみな
御親の愛の仕込みなりけり


ちょっとココロの話ばかりになってしまったけど
今日も、ココロとカラダとお肌の、健やかな一日を。









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