オレゴントレイルのこと Road Trip(4)
今回のロードトリップ、結構急にバタバタと決めて出かけたんですよね。(周りにご迷惑もおかけしました。申し訳なかったす。)
大陸のドライブ旅行は「移動」を目的とするともうただ真っ直ぐ伸びるインターステート(州間高速)を走るだけ、になってしまいます。そこで選んだのが「昔からある大陸横断の道を中心に移動する」こと。
(細かい話はこちらと こちらに書きました。何かの参考になれば)
さて、最初はオレゴントレイルと呼ばれる道を辿る旅。このトレイルは19世紀、北アメリカ大陸の西部開拓時代にアメリカ合衆国の開拓者達が通った主要道の一つです。詳しい歴史はこちらをどうぞ。
幌馬車で進むので、できるだけ平坦な道が望ましいわけです。そのルートがある程度確立されたのが1800年代前半、セントルイス(ミシシッピ川)→ミズーリ川→ネブラスカ州を横断するプラット川と言う順路で西へ沢山の幌馬車が船で運ばれました。(途中馬車移動もあり)
セントルイスはオレゴントレイル、ザ・ロンリエスト・トレイル、ルート66のいずれも通る「西への玄関」だったんですね。
船から下りるとプラット川に沿って、あるいはときに横断しながら多くの人が西へ進みました。ホームステッド法という「5年定住し開墾したら土地を自分のものに出来る」という法律(=西部開拓時代)が出来、多くのひとが西部に雪崩れ込んでいったのです。
これらの開拓者へ手紙を届けたり、周辺に元々住む原住インディアンとの諍いから開拓者達を守るため、各地にFort(フォート・砦)が築かれました。今でもアメリカの各地にフォート・なんとかという地名が沢山残っています。
軍隊が駐留しましたが、主な仕事は「郵便局」だったそうで、今でも昔からの主要道路沿い(ルート66も)に郵便局が並んでいます。
川の周辺の砂地を進んだり
川を渡ったり坂を登ったり(下の絵では 目印となった岩山・チムニーロックが遠くに見えます)
チムニーロックはこちら。現在では保護のためこれ以上近づけません。
とにかくこういった目立つ岩山が道標になったんですね。これくらいフラットなので・・・
そうして、自分達が開拓できそうなところを皆が探しながら西へ向かったため、今でもtrail rutsといって多くの荷馬車が削った道のあとが見られます。
当然、厳しい道中だったので亡くなる方も多かったと聞きます。
上の絵はワイオミング州のフォート・ララミー。今はララミーという、ワイオミング州でも大きな街となっています。
で、私達は西側のソルトレイクシティなので、頑張ってキャスパーに北上してオレゴントレイルに入り、スコッツブラフを経由しオガラーラに入った、というわけです。
キャスパーまでの行程がこちら。(移動が長距離過ぎて、Trail Ruts轍あとを見損ねました・・・)
そしてスコッツブラフからオガラーラがこちら。
オガラーラ近郊に、オレゴントレイルの最難所の坂と言われた場所と、当にオレゴントレイル道中のオアシスだった場所があります。
Lewellen(ルウェレン)という街にあるアッシュ・ホロー州立歴史公園がそこです。
また写真が多くなるのでここの話はまた次回。
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