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「自分勝手」か「自分で考える」か

タイトルそのまんまなんですけどね。
今大阪に滞在中で。それも古い街に。だから予定がない日は朝から下調べして街を歩くんです。それはまぁいいとして(別記事にします)

暑かったのもあるし、「せっかくいっときしかここに居ない、空気の読めない外国人でいられるわけだし、自分で考えたことをしよう」と思ったんです。

歩く間はマスクを外しました、繁華街以外は。

平日昼間です。裏通りは勿論、表通りも外回りというのでしょうか、スーツ着たひとがぱらぱらと歩いているだけ。

それでも注目度すごいです。二度見されることもあります。気にしませんが。まぁ「自分勝手」に見えるんでしょうか。
とうとう2時間歩く中で一度も注意されることはありませんでした。そりゃ人の多いところとか店に入るとか、そういうときはマスクするしね、ルールは守ってるから叱られる部分もないはずなんですが。


私はまぁ昔からオカシイと思うことはあんまり出来ない方です。
子供の頃はそれで怒られたし(まぁ「この辺で怒られるなら損だから、怒られないように見える所では望まれるようにしよう」ってずる賢さを発揮します)、高校生になると空気の読めないアホな子を演じました。

もちろん分かっています。
どこまで許されるのか。どういう態度なら共感する人が多いのか。
私はそんなところを見ながらやる、一応年季のはいった「日本社会を観察しながら我が道を行く」人間です。

いきなり同じ事をしようという人が「私は心がよわい」と思うなら、一人でやるのはオススメしません、というのは先に書いておきますね。


さて、集団心理というものが存在します。日本では同調圧力とも言われます。ただ、あちこちでいろんなひとが「もうそういうのやめようよ」って言っている昨今です。特に都会ではいろんな理由でそういうのを強く持っているひとが多い。

でも最初の一人にはなりにくい。
みんな、良い意味で社会の中の歯車だから。自分は良くても、周りがとばっちり受けるのはよくないんです。


だから「外国人かも日本人かもしれない旅行者」がある意味、適当な存在かなと思うんです。しがらみは皆無じゃないですか。
それに「ちゃんと考えれば確かにマスクは不要」な場所、もっと増えた方が(特に夏は)良いに決まっている。ちゃんと考える、が大事ですが。


実際、昨日マスク無しで歩く中で二度見されても4割くらいは「そうだよね」っていう感じの視線でした。2割くらい非難するような視線、って感じでしょうか(こっちが同調圧力といわれるやつですね)。残りは「一応街中なんだけどなぁ、あぁでも確かに喋る訳じゃ無し、人通りも多くないし、・・・ん?じゃあいいのか?」みたいな混乱って感じでした。聞いた訳じゃ無いから確実じゃないですけど。

めんどうだから目立たないようにずっとマスクをする、っていうのも分かります。今出てきているデータを疑う人が居ても当然でしょう。実際、ここにオットがいたら彼の横では私はずっとマスクをつけます、喧嘩するの面倒だから。
でもね。状況が許すなら 自分で考えて行動するのも大事だと思うんですよ。

もうマスクが要らないとは思いません。「マスクしてるほうが感染するんだって」とか訳分からないこといってる医療関係者もいるようですがね。明らかなのは《理論的にウイルスに無効》とされていたマスクが実際有効だった、そして感染症はやっぱり人間同士の交流(近くで話すとか)で増えていた、ってことです。

またCOVID-19というウイルス(に限りませんが、ウイルスというのは)は「あ、人を短期で殺し過ぎちゃった、これじゃ俺ら増えられないじゃん」的に変わってきているようです。ウイルスが定義的に生物ではないといっても、変異したもののどれが残っていっているか、を見ていると意識あるんじゃないの?と思ってしまいます。科学的じゃないけど。

いろいろ変化してるけど、基本の立場はこの記事を書いた頃から変わってなくて、あとは皆さんも自分で考えて、思いやり合っていこうよ、って考えるんです。


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