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必要じゃないことでも 大きな価値があるときだってある

うちの息子は、そういえば昔から「必要だからやる」ということが自分の秤にかけて「要らないでしょ」となると てこでも動かない子だった。


今年12年生(高3、義務教育最終学年でシニアと呼ばれる)なのだが、先週学校から親にCC(カーボンコピー)されたメールが届いた。学校のいわば教務の先生から息子宛。「卒業アルバムに使う写真を、この日曜までに出して欲しい」と。締め切りは先週だった。

メールが来た日、私達からも息子に確認をとったのだが「必要ないでしょ」という。いやいやいやいやいや、卒業アルバムだから。その「必要無い」「無駄」の判断基準、全くもってわからないから・・・・

日曜の朝ごはんのとき、「で、先生に写真は送ったの?」と聞くと「いや・・・シニアフォトがないから」という。シニアフォトというのは12年生のときに撮った写真で、まぁフツウはプロもしくは写真の上手いひとに頼んでしっかり撮ってもらう。
姉は写真のクラスを取っている友人に安く撮ってもらっていた。とても素敵な出来上がりで私もびっくりしたのを覚えている。

「え・・・ない、って、誰かに写真撮ってもらう算段とかしたの?」
「いや・・・・」
「ちょっと、もう締め切り過ぎてるんだから。もうお母さんが撮るから、支度しなさい」
「いいよ、家の中で撮るから」

確かに今日は雪だ。だけど家の中って、シニアフォトをこの家の中って・・・・

ぶち切れた私は、うだうだ言う息子を引きずって学校に写真を撮りに行った。日射しがないので、紅葉した木くらい入れた方が良いだろうと思って。本当なら他のカッコ良い場所に行けばいいのだろうけど、時間もないし大体、季節の初雪の日なんて街中をあまり運転したくない(大抵事故が多いのだ、初雪の日は)。

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本当に彼の「必要」「必要じゃない」の基準はかなり独特で困る。確かに死ぬことは無いけれど、一応集団のなかでやらねばならないってことはあるのに。

そういえば、小学校5年の頃には宿題を出す意味がわからないとか言って(母にはそのあんたの基準が分からない。。。)半分以上の宿題を提出せず、学校の成績で N っていうのをもらってきたこともある。評価はもちろんA, B, Cなのだが、N=not applicable(非該当・評価出来ず)ってことらしい。聞いたことないわ、そんな評価。

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昔はにこにこちゃんだったのになぁ。
よく笑って、運動とかーちゃんが大好きな、分かり易い子だったのになぁ。
まぁそれでも最近はようやく、母と話をするようになってきたから、一時期よりは良いんだけれども。

昨夜、写真を探そうともしていない息子に堪忍袋の緒が切れ、「お母さんの写真フォルダあるから選びなさい!」って息子にコンピューターを渡したら、それから2時間くらい写真をみていた。ときどきくすっと笑いながら。
そういえば、息子は滅多に写真を見返したりすることはないし、当然私が撮り貯めた写真なんてまともに見たことはなかったんだっけ。

そうだよ、お母さんのコンピューターにどうしてそんなに沢山の写真が撮ってあると思ってるの。どの瞬間もちゃんとその時その時の想い出がつまってるからだよ。

他人には「必要無い」「無駄」なメモリばかり喰う記録だろうけど、その価値は家族にしか見えないものだ。

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本人にはボツにされたけれど、かーちゃんとしてはこの写真が一番今の君らしいと思う。10年後、「雪の中写真撮るって言って、引きずって行かれたなぁ」と思い出したらちょっと笑えると思うよ。

今のきみには「無駄だよ、そんな写真撮ったって」だとしても、親には大事な一枚なんだ。
無駄か無駄じゃないか、って、君自身の判断以外にもちゃんとあって、それが意外と時間が経ったときに「ふうん、あっても良かったもんなんだ」ってなるんだよ。

だから分かんなきゃダメだ、とは言わないけど、少しずつそういうことに「いつか理解出来るのかもな」と1歩歩み寄るくらい、大人になって欲しいよ。

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