見出し画像

普段使いの道具に「自分とはなにか」を感じること

フォークの歯は四本が多い

なんてことを気付かされたのは15年程前のこと。我が家に遊びにきたお隣のEちゃんが、剥いた林檎かなにかの皿に添えた小さめフォークをみて叫んだからだった。

うわぁ、Tomokoのおうちのフォーク、歯が3本だ!

それは日本に住んでいた頃にキレイ目カトラリーが欲しくなって安売りの中から見つけたセットものだったけれど、確かに全体のフォルムやひとつひとつの重さが「あ、ちょっと違ってイイかも」と思って買ったのだった。デザインしたひとには流線型のようなイメージがあったのだろうか、そのシリーズものは少しだけ幅が狭くてつるりんとしたデザインで、手に取ったらちょっと背筋をのばして料理に向かいたくなるような、華美すぎない気品みたいなのがあって買うのを決めたのを覚えている。

その後またアメリカに戻って(食器類は海を越える引っ越しを繰り返すとかなり傷むものだと知った)子育て真っ最中だったこともあり食器類はIKEAの安くて壊れたりしても替えの効くやつ、みたいになった。野菜なんかの違いで日々の食事も和風から遠ざかってしまい、日常にヘビーローテーションするためにIKEAのカトラリーを2−3セット常備して使うようになった。

日本から持ってきたちょっとオシャレなカトラリーはIKEAのそれらと一緒くたにされて、日々すぐ手に取れるカトラリーホルダーに入れられていた。家族はそこから適当に使うものを選び出して持っていく形だ。

箸文化で育った私には「形と大きさが違うけれど、まぁ大体同じもの」として認識されていたカトラリー。それがどうやら違ったらしい、と知ったのは、そのお隣の子供の一言だった。


確かに今のフォークの歯はほとんどが4本だ。和食器・和菓子に合うように日本では2本のものも3本のものもあるけれど、レストランなんかで出るものは基本、4本歯。
調べたらこんなデザイン進化のことを書いた本もあるんですね。

要するに「使い勝手」が現在の4本歯に落ち着いた理由らしい。ふむふむ。

こちらの記事↓によると日本で使われるのはデザートフォークが多い、という。それもなんか納得する。ウチにあるカトラリーセットの大きなフォークは確かにテーブルナイフではない。(でもまぁ、アジア人の体格を考えるとテーブルナイフは大きすぎるので呼び方云々より使い勝手で小さめになるのは当然かと)

食器は確かに食文化と、使う人間つまりはその文化圏の人間の体格なんかを大きく反映させている。それらによって食べ方も食事の作り方も変わる。・・・いや、逆かな?食事があって、食べ方のマナー文化があって、だから食器が変わるのかな。

まぁ、それはどちらでもいいのだけれど
アメリカに来て「なんで軽くて使いやすいのに’磁器’の皿がないんだ」「デザインを考えたら粉引きみたいな和食器がもっとあってもよさそうなのに」と思っていた時期もあるけれど、食文化と人が全く違うんだから仕方ない。重くて大きくて分厚い皿は「何を乗せるか」が違うからで、更に言うと皿そのものを温めてサーブする文化があるかどうかにも拠る。


以前はこんな違いにイライラしたり気付かされる違いに驚きを感じたりしていた。でも、もう最近はないなぁ・・・と、食器を洗っていて思ったのだ。それは気付きのうらに文化の違いを認めていた、つまりは自分とはどこで育ちどういうものに囲まれてどんな価値観の中で育まれた人間かを知る事だったのだと思う。そしてその「違い」を気付かなくなるまでに身体に馴染ませてきた20年なんだと、あらためて気付いた。

そういう小さな驚きを覚えなくなってきてしまった自分に気付いたので、とりあえず書き留めておこうと思う。

サポート戴けるのはすっごくうれしいです。自分の「書くこと」を磨く励みにします。また、私からも他の素敵な作品へのサポートとして還元させてまいります。