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旅の計画

年齢が上がるにつれ より楽しいとか嬉しいとか居心地よくなることって私は沢山あるのだが、旅ができるようになった、というのはその中でも大きい楽しみだ。

別に旅をしないと生きていけないなんて思っていなかったけれど、この2年半で思い知った。私もオットも膝から下は「旅」で出来ている人間なのだ。膝から下だから、そこが多少動けない状態でも生きてはいられるが動かさなくなった下腿は浮腫んできてすこし苦しくなる。

育った国日本から離れているというだけで普段は足首から下、足裏がすこし地面から浮き上がっているのかもしれない。だから時々日本に帰って足裏全体で育った大地をしっかり感じると体の調子が明らかによくなる。

いま普段を過ごす高地の生活ではどうも少しばかり「つま先立ち」な気がしている。さすがに人生の3分の1がこの大陸の上になったので少しずつ踵を下ろしてきた感はあるが、時々浮腫んだ膝下をしっかり使うためにも旅に出たくなるんじゃないか、と思う。

私達の旅の形も変化してきた。もちろん子供達が成長し、なかなか一緒には旅をできなくなったというのも大きな理由だが。

そういえば暮らすように旅をする、という言葉が一時期聞かれていたが、私はあんまりそうしたくないかな・・・旅先で足裏がしっかり地面と繋がってる感じはやっぱりしないし、繋がった感じがするふりもしたくないんだなぁ。
旅先では そこの住人ではなく旅人でいたい。日常になるとその土地ならはの面白さが薄れてしまうから。いつだってちょっとAwayアウェイの居心地悪さを抱えながらがいい。現地のスーパーを探して、すこし違う野菜やお惣菜を面白がっていたい。

今の私達夫婦にはスケジュールぎっしりな詰め込み旅はもう出来なくなった。いろんな場所を一気に移動して見て回る、というのも楽しめなくなってきた。一時期はその土地の歴史を広く浅く追いかけながら旅をするのが好きだったが、最近はそれよりもゆっくりと体験そのものを共有するほうが多くなった。

旅の形は本当に人それぞれで、同じ人でも体力も思考も変わるから年齢によって旅の形が変わるのも当然なんだろう。

そんなわけで今回は、この20年再訪しようと言いながら叶っていなかったところに行くつもりだ。リベンジ旅でもあるのでかなりゆっくり目に予定を立てている。子供達が家を出て人数も半分になっていることだし、もう昔みたいに「安く上げる」を目指してしゃかりきにならなくてもいいかなと、やっと思えるようになってきた。
足に馴染んだ靴で、しっかり膝下を使って歩いてこようと思う。そして帰宅したら多分、「ああ、この足裏の感覚は今住んでいるところだ」ってまた実感出来ると思う。踵も0.2mmくらい低くなるんじゃないかな。

旅の計画を立てるのは 知らない土地だから調べることが多くてものすごく時間をくったりするが、同時にすこしワクワクしてくる。アナログな情報をジグソーパズルを組み合わせるようにして予定をたてているのが、ちょっと楽しい。人数が減った分、頭を悩ませる要素も激減したので行き当たりばったりも許容できるというのがいい。

20年前に訪れた時はあんまりゆっくり見てまわれなかったのが悔しくて「また来よう」と言ったのだけれど、あの頃感じたみたいに素敵な田舎町のままだろうか。あの独特な素敵な雰囲気を味わうことは出来るだろうか。
「再訪」旅はがっかりすることも多いのだが、そんなときはアウェイ感を思い出しながら新しいものを見つけられるといいなぁ。



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