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小さな新年の抱負を

3日ほどだが、娘の大学の友達Sが泊まりに来てくれていた。

彼女は娘の「最初で最後の」ルームメイトだった。アメリカの大学は地元の学校でない限り寮に入ることが多い。コロナ禍で1年オンラインのみの授業をうけたあとに初めて入った寮は4人でひとつのアパートの部屋(ベッドルームがふたつ)をシェアするような形だった。そしてその時のルームメイトがSだった。

趣味や基本的な性格(比較的内向的、真面目)が似ていた彼女と娘はすぐに仲良くなった。娘が寮を出てからも彼女とは定期的に会い遊びに行ったりしていたようだ。学部が違うのでスケジュールを合わせても会うのは仲良しの証拠でもある。

で、彼女が我が家に来てからSをあちこちに案内してあげるのかと思いきや娘が全く動かないので、結局私が二人をつれて近場でソルトレイクシティを案内するような形になった。二人が面倒くさがるので(笑)車の中から眺めてもらう程度だったけれど。

グレートソルトレイク州立公園に連れて行って、アメリカの地図上でも確認出来る大きな塩湖をみせてみたり、バイソンを目の前でみてもらったり、

あの砂州みたいなところにつくられた道を通って辿りつく、塩湖のなかの大きな島が州立公園になっている。ビジターセンター前には誰かからの寄贈だろうか、モルモン神殿を模したと思われる木の作品があった。

キャニオンにつれていき、岩壁の切り立つ山道を楽しんでもらったり、スキー場の賑わいを道から眺めたり。そして娘が通っていた高校にも(娘のリクエストで)連れて行った。

ぽかぽかと暖かい午後で、空は気持ち良く晴れて冬休みのキャンパスは芝がまだ緑。冬休みの学校はどこもかしこもがらんとして、けれどまだ沢山の子供達がいた気配をうっすら残している。
そして数年前まで別々の高校の制服を着ていた女の子たちが他愛ないお喋りをしながら散歩し、その少し後ろから私も着いて歩いていった。

私は子供たちの学校行事に積極的に参加する親ではなかったけれど(アメリカでは親も参加して学校を楽しくするっていうことが沢山ある)、今こうやって子供達の過ごした学校を歩いてみると なかなかに幸せな中・高校生活を送ったんじゃないかと思える場所だった。自由さという意味では30年前の私が通った公立高校に通じるものもある。

Pottery(焼き物)のクラスがアート系選択科目にあって、いつも子供達の作品が素晴らしい。今年はエイリアンとかの課題だったのかな。
それぞれの個性が感じられる色使い。

高校生時代にしか自分のものにできない経験や時間というものが確かに誰にでもある。友達と共有して、あるいは沢山の学友のなかで孤独を感じながら自分というものを認識したりする時間。ただただ笑い転げていて何がそんなにおかしかったのか、何をしていたのかさっぱり覚えていないけれど きっと幸せだったという一言でくるりと丸められるような記憶。

母校を案内しながら娘がSに何を話して紹介していたのか、単に散歩しながら関係ない話をしていたのかは知らないけれど、二人がひそひそ話をしたり笑ったりただ並んで歩いているのをみているのは幸せだった。この年齢までこの子たちが笑顔で歩んで来られてよかった。

傍目には高校の時だって娘には友達がそこそこいたように思うけれど、本人的には「この学校でなかなか心を許せる友達ができなかった」らしい。
そんなうちの娘は、今お互いを良い友達として認め合うSを案内しながら昔の記憶を優しいものに上書きしているんだろうか。あるいは楽しい思い出をSと共有しながら「あ、良い高校時代だったな」って再確認してるんだろうか。

時々前をあるく二人の方から「わかるー」「あ、そういうのあるよね!」みたいな声が届いてくる。二人とも、派手な思い出はなくとも楽しい高校時代をすごしたんだろうな。そんなことを思える背中だった。

サッカーグラウンドの横に、いつの間にか学校ロゴがででん、と鎮座していた。私はこういうのがない山の景色の方が好きだったけど、まぁこれを学校の思い出としていく子供達も多いのだろうね。

もう大人になった子供達の背中が時々女子高生に戻ってみえるような時間。この二人がずっと仲良しだといいなぁ。経験や記憶を共有できる友達はまさに人生の宝だから。

そして自分の、もう長く会っていない友達を思い出す。みんな海の向こうだ。元気だろうか。みんな元気で幸せだと良いな。
もうすぐ新年がやってくる。来年はその中の数人でもいい、ちらっとでもいいから再会できたらいいな、なんていう小さな願いの火が、ぼんやり胸の中に灯った。


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