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だいすーけさんの「#手書きnoteを書こう」に参加しよう、と思ってペンを持ったら書けなかった・・・あたりから思い出した話。

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今オットとして一緒にいるひととは 交際期間の殆どが遠距離恋愛だった。そういうのを望んだことは一度も無かった(若い頃遠距離ではイタイ目にあっている)のだが、「それでは」と別れるほど適当な気持ちでもなかったということだろう。

まだメールが一般のひとに普及し始めたかどうかという頃の話。東京で働く私とNYCで働く彼との連絡は メールと、時々の国際電話(大分国際電話も安くなってきていたが、インターネット通話はまだ出ていなかった)と、私からのハガキ。

距離があることは恋愛感情を暴走させたりあらぬ方向へ向けたりする。

忘れてないことも、会えなくて寂しいことも、だけど私は大丈夫だということも伝えたい、でも重荷には絶対なりたくない。
それを私なりに丁度よく表すことが出来たのはハガキだったのだ。

手書きの文字はちゃんと想いを乗せるから。でもその分、気をつけないと怨霊みたいにどろどろしかねない。

ハガキなら ごく限られた行数しか書かないから重くなりようがない。


まぁ案の定というかなんというか、遠距離恋愛中はいろんなことが試練のように降りかかるので、ケンカもよくするし メールの返事が来なくて不安になったりするし・・・で

手を変え品を変え、彼とのコミュニケーションをなんとか成立させようとしてたわけ。


覚えているのだが 2通だけ、彼(オット)には長ーい長い手紙を送った。


どちらもケンカ腰な、怒りやら悔しさやら泣き言やらを書いた手紙。
「別れるのなんて覚悟の上」で書いて出している。(なかなかそこまでは行かないが、プチッと切れるとちゃぶ台ひっくり返す勢いなのは私の方)
修正ペンもつかわず(なのであとでがしゃがしゃっと線で消して、書き直すとかめっちゃあったはず)清書なんてするわけもなく。

半年以上前のことだけれど、書類を探して開けた引き出しにオットの「手紙入れ」があって、ちらっと中をみたら沢山の私からのハガキと(多分他の人からのは別のところに仕舞ってあるのだろう 爆笑)「その」ながーい手紙を入れた薄水色の分厚い封筒が見えた。


このひとにもう手紙なんて書くことはそうそうないかもしれない。日常の「ご飯、つくってあるからチンして食べて」のメモが多分 最近彼に宛てた最後の手書きメッセージ。それは一緒に暮らしているからこその有り難い変化かもしれないけど、ちょっと寂しい気もする。

これからはオットへというより、巣立っていく子供達へ手紙を書くようになるんだろうか。

どうせなら子供へも 楽しい可愛い絵葉書を送りたいな、と今考えている。

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だいすーけさんのお題企画はこちらです。日本時間で1月15日いっぱい受け付けていると思います。


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