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光の粒を捉える

写真をきちんと勉強したことはない。

デジタルカメラが普及し始めた頃、当時在席していたアメリカの大学のランチセミナーで、デジタルとアナログの「光」つまり光子の受け取り方の違いを教わった。こういったcaptureの違いは撮り方に反映されないと、みたいな話だった。
各研究者がその道の最先端をド素人でもわかるように話してくれるそのセミナーは ちょうど電子顕微鏡や通常の顕微鏡で写真を撮ったりデータに変換したりする事が必要だった私になにかヒントがあるかと思って参加したのだが、それ以上に「光」を留めようとするこの世界のロマンにすっかり魅了された。その数年後にはコンパクトカメラで飽き足らず一眼レフ(SLR)を手に入れてあれこれ始めたのもこれがきっかけだったと思う。

なのだが、機能を使い切れないのと、美しい写真を撮るために持ち運びをしなければいけない機材の重さに、子育て中の私は「継続」出来なくなったのだ。そのうち「スマホ」が出てきて、そのカメラの性能もどんどん向上した。忙しいハハ業をするものには 軽くて常に携帯できて・・・の便利さはかなり有り難く、大きなカメラはごくたまに引っ張り出されるものとなる。

それでも当時光の中で撮った家族写真は、その時の家族の笑い声が聞こえてきそうで、今でも宝物だ。息遣いが聞こえそう、とでも言うのだろうか。
そしてまた、日々を今度は「接写レンズ」で撮るようになった。時間と心の余裕ができた、ともいう。

すべて手探りだから コツとか構図の云々かんぬんは知らないし、上達も遅い。でも趣味としてはそれでも良いような気もする。

さて、そんな中、noteを頻用するようになって美しい写真にはよく救われるんだけれど、こちらのshin ikegamiさんの写真を初めて見たときは文字通り言葉を失った。

カメラは光を捉えるものだ。それをここまで暗い状況で、息を潜めたような植物の一瞬を切り取っている。なのだが、不思議と光に溢れていることを感じる。光とは量ではなく、「明暗」なのだなと、陰陽なのだなと思う。

今はギャラリー展示などができない。そんな中でオンライン個展を開催されている。是非、ご覧になっていただきたい。
ikegamiさんのnoteでも沢山の美しい光達が輝いている。ぜひご覧下さい。

この静寂の中に、息遣いを感じるくらいの光があります。
もの凄い世界だなぁ、といつも思いながら見せていただいています。

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ところで「云々かんぬん」の「かんぬん」に漢字は当てられるのかな、と思って調べたら、いきなり「仙台弁」と出てびっくりしました。そうなんですね、これ、方言だったんだ・・・・ 両親はそのエリアの出身で、私も仙台で産まれてます。
フツウの言い方だと思ってたなぁ・・・(~_~;)

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