見出し画像

私ならあの手術をすんなり受けたかな

救急室(ER)当番での鍛え方が半端なくて界隈では有名だった研修病院にいた。お陰様でいろいろ鍛えられたし、冗談みたいなことも沢山あった。

まぁ、いろんな忘れられないことはあるのだけど、先日「あ、私もあの時のあの人と同じ歳だ」と思ってちょっと複雑な気持ちで思い出した患者さんがいる。Yさんという方。最終的に子宮全摘という手術を受けられたのだけど、今彼女の年齢になって、病気の知識がなかったら同じ手術をすぐに受けると言えただろうかと考えたのだ。

その日は私のER当番の日だった。夕方5時から翌朝7時まで。

そこの病院のER当番二人は受診される全ての患者さんを診て、最初の処置はもちろんのこと入院か入院ではないか、入院ならどの科に渡すべく当直のレジデント(2〜4年目の、外科系、内科系各一名ずつの当直医)にプレゼンテーションするかを考える。誰かの診察中でも救急車がきたら中断しそちらをまず診るのは基本ルールで、でも診察室に誰かを待たせていることもあるので「どのくらい処置に時間がかかり、誰を先に診るか」も毎回考えないといけない。


Yさんは夜10時過ぎに救急隊が運んできた。「52歳女性、腹痛」との電話連絡が先にあった。(腹痛で救急車、気を引き締めないとあれこれ難しい)

そしてストレッチャーが入ってきた。そのYさんという女性は痩せ型で、幸い病院に到着されたときの痛がり方はそれほど酷くもなかった(・・・が、ではなぜ救急車だったのか、を考えないといけない)。でも明らかに毛布の下のおなかがぽっこりと膨らんでいた。女性の腹痛で、この不自然なお腹の膨らみ・・・?

女性をみたら妊娠と思え、という、ちょっと外では使えない「戒めの言葉」が病院内、特にERにはある。妊娠関連の急性腹症(本当に緊急性が高い)を鑑別するのと、妊娠中にしてはいけない検査(レントゲンとかCTとか)に回さないようにするため。

52歳・・・いやいやいや、ダメですよ考えは同じ。すぐ出来る検査だし、妊娠検査は第一でやります。検査結果がわかるまでは問診の時間。酷いところを過ぎたのか病院について安心されたのか、幸い来院後の腹痛は殆ど無くなっていた。
夜のER当番インターンは二人なのだけど、もう一人の男性医師は直前に来た心筋梗塞疑いの患者さんを診ていた(これも急ぎ案件)ので、私がYさんの点滴を繫いでバイタル(呼吸数、脈拍、血圧など)確認し、一通り話をきき、診察をした。(そこの看護師さんも皆デキル方達だったが、とにかくERが忙しいときは医師も何でもやった)

ご本人の話の通りだったが妊娠検査は陰性。でもお腹がいつから大きくなったかの話を聞くと「分からない」とYさんは泣き出してしまった。お腹が痛いからではなく、どうやらえらく不安がって泣いている様子。それならYさんが落ち着いてからまた話を聞こう、状態は安定しているからゆっくり判断しても良さそうだと考えて、一応一緒に診てくれていた外科のレジデントに自分のとった所見・考察などを伝えて 私は待たせている他の患者さんにかかることに。

その日は「当たり日」で、とにかく患者さんが多かったのだ。患者さんがあまりに多いと、レジデント達も必要に応じて早めに応援に入ってくれる。

2−3人をさばいたところにさっきの外科レジデントが顔を出す。

「あのさ、忙しそうだったから先にエコー(超音波検査)しちゃったんだけどさ」「はい、ありがとうございます」
「Yさん、筋腫かも・・・でも検索必要だしCTいれようか」
「・・・へっ?筋腫、ですか?」

女性の子宮筋腫はそれほど珍しくない。だけどあんまり腹痛を起こす類のものではないし、それよりYさんのお腹は妊娠7ヵ月?8ヵ月?というくらいだった。それが全部筋腫と思うにはちょっと大きすぎる。いきなり腹部所見だけで「子宮筋腫です」って書いたら絶対先輩達に「もうちょっと考えてみろよ」と突っ込まれまくるくらいの大きさだった。
でも確かに、腹部所見(触ってみての所見)はこちらが困るほどに「どこもかしこも一様に硬かった」。ただ、硬いと言っても酷い痛みを伴う急性腹症(痛いから力が入って、お腹ががちがちになる)みたいな感じではなかったのが唯一の救いで。

とりあえず、その時はまだ放射線科の先生が寝ていなくて、明朝の依頼として私が書いたYさんのCT依頼書が目に止まったとのことで、「救急車で来てるし、今やっちゃう?」と連絡がきた。ありがたい、それなら朝の各科ラウンド(入院患者さんを引き取るラウンド)の大分前に判断情報が増える。

そしてYさんの「巨大子宮筋腫」が確定的になった。

とにかく忙しい夜だったので殆ど寝ることも出来ず、朝7時からの各科ラウンドの後はふらふらになりながら自分のローテーションの科の仕事に入ったのだが、その朝の仕事の最中にポケベル(という呼び出しの機械を当時は持たされていた)が鳴った。折り返しの電話をすると かけた先は婦人科の先生で、前の晩のER当番の二人で翌日午後からのYさんの子宮全摘を手伝うように言われた。

他科ローテーション中になかなかそういうことはないが、指導医間ですでに連絡が行っていてすんなりGoが出た。
そして手術に入ったのだが、正直人生で一番つらい助手経験だった。・・・腰と腕が。一緒に当番をした男性インターンがいてホントによかった。

筋腫があまりに巨大で、誰かが支えて(持ち上げて)いないと手術の間に患者さんの血圧が落ちるのだ(お子さんを持っている方なら、妊娠後期は真上を向いて眠れなかったのを覚えているんじゃないだろうか、あんな感じだ)。そして「交代で子宮を持ち上げる係」として呼ばれたのだった。(もちろん、最初に診察したんだからしっかり見なさい、というご褒美的なものでもある)

でも交代で、と最初言われたけれど、あまりに大きく重くて結局二人でずっと支え続けることになった。狭い術野の邪魔にならないよう、すっごい不自然な格好で・・・腕も腰も死ぬかと思った。
取り出した子宮は約11kg。筋腫だけで10kg以上あるという感じ。両手で抱えても落としそう・・・・

で、今思うとこの時初めて「病理の切り出し」というものの洗礼をうけたのだが、話が長くなるのでそれは別のときに。

結局 巨大子宮筋腫は悪性ではなかったようで、Yさんは「特にこの数年、どんどん目立ってきてとうとう怖くなるほどの膨らみになった」お腹を抱えて、「絶対これは癌だ」と思って怖くて受診出来なかったらしい。救急車で来たのは「便秘だった」のもあったのか、とにかくおなかが痛すぎて「癌が破裂するのでは」と思ってのことだったらしい。(もちろん全身検索もして、Yさんは筋腫以外はなにも問題のない状態と分かった)

思い出したのは、今その時のYさんの年齢になったから、そして婦人科疾患の話が周りでちょっと出ていたからだ。私、健診もうけてないし。
さすがにあの大きさとは言わずとも(私は太っているから逆に10kgの腫瘍なんて抱えていられないと思うが)なんだか分からないままに異常におなかが大きくなってきたら。。。怖いだろうなぁ。

そして、もう子供を産むことは間違ってもない、とは思うモノの、若い頃よりも子宮全摘という言葉のダメージは大きそうな気がする。年齢があがると気持ちが中性的になるような気がしているんだが、だからこそ、なんだろうか。自分でもよくわからない。

Yさんは「癌がある」と思っていたと言うから むしろ取れると聞いたとき、あるいは手術の後はほっとしたかもしれない。でも手術の話をされたときはどんな気持ちだったろうか。
当時は全く思う事もなかったが、今は「Yさんに」なったつもりで考えられる気がする。そして理屈以前の「僅かに残った女性部分を失うようで怖い」と感じることに、正直驚いている。

人間は理屈だけでは進めない生き物なんだ。

・・・ということを思い出させてくれたお友達の作品。↓



 

サポート戴けるのはすっごくうれしいです。自分の「書くこと」を磨く励みにします。また、私からも他の素敵な作品へのサポートとして還元させてまいります。