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マクロとミクロと家族

あっという間に年が明けてしまいました。2021年、本年もどうぞよろしくお願い致します。

年末から年始にかけ、もちろんご時世というのもありますが 私は家族に集中することにしていました。同じ家の中に暮らす家族、そして海の向こうだけれどお互いの健康を喜び合える家族。多分そういうところからしか、心の平穏は生まれてこないだろうからな、と思ったからです。

私の子供達はそろそろ二人とも家を離れます(567でなんとなく曖昧になっているけれど)。それを考えながら、家族でいる時間を大事にするとか、笑顔で過ごすとか、そこを年末はずっと考えていました。

2021年はいくつか目標があります。

ー健康でいること
ー自分で出来ること(社会に関われること)を増やすこと
ー怒りのもとを見つめて 改善への努力をすること
ーことばを記し続けること

それから、自分に肩書きをつけてあげることかな。あまりに漠然としているのでこれは目標のなかに入れるのを躊躇うのですけどね。

2020年、アメリカは政治的に大激震を経験しました。たかだか永住権保持者の私ですら、大事にしていた友人と距離を置きたくなったくらい、世の中の殆どの人たちが政治のことをクチにしていたのです。これは日本ではある意味考えられない状況かもしれないです。(もしかしたら大政奉還前とかフランス革命直前ってこんな感じだったのかな)

個人的には、対立ではなく対話で前に進むことを人間はちっとも学んでいないのだろうか、という悲しさと諦めが私の中を占めた時間でした。ただ、政治のような世界を比較的マクロに見る場所では「敵」を作り上げた方が支持は得られやすいというのは・・・残念だけど真実です。対立でも敵でもないのにね。
世界を対立するものたちで成立させている不安な社会というのは そういう風に多くのひとが安直な考えをすることから形成されるのだと、何故気付かないのでしょうか。「風の谷のナウシカ」でオームの怒りが大気に満ちている、っていうおおばば様の言葉があったけれど、怒りが満ちたところには戦いしかないのにね。2021年は、ひとりひとりがナウシカにならないといけないのでしょうか。


そしてマクロのこと(国際政治や地球全体のこと)とミクロ(コミュニティレベルの話題)ともっと目の前の家族のこと・・・これらをちゃんと分けて考え、でも繋がりもちゃんと見出すひとでいたいと強く心に誓った2020年となりました。

Netflixで(多分日本語訳のついたものも)いま ヒルビリーエレジーという映画をやってます。トランプ大統領が生まれる原動力となった人達はどういう人達なのか、ということが2016年に話題になったんですが、このとき(天下の)イエール大学卒の弁護士さんが自分の回顧録として「ラストベルト(錆びついた地帯・衰退した工業エリア)に住むというのはこういうことだ」というのを書かれてベストセラーになり、これが映画化されたんですね。(彼自身の変化とその頑張りの凄さはアメリカに住んでないと分からないかも知れないけど・・・・彼こそある意味「アメリカンドリームはまだ存在する」を体現してる人だと思うのです)

映画は「家族」というところに焦点があります。でもその背景には上で書いたようなミクロとマクロの社会が複雑に絡み合っています。その上で・・・主人公のお母さん・ビブ(ベブ、と邦訳しているところもありますが恐らくビバリーと言う名前からなので私はビブと書いています)は自分の人生に起こることを引き受けられなかった。おばあちゃん(ビブのお母さん)曰くの「ほかのもののせいにして」しか生きられなかった。
それは確かにビブ自身のせいなのかもしれないですが、家族はそれをなんとか崖下に落ちぬよう皆で助け上げて生きています。彼女を理解したい(出来なくても)、幸せでいて欲しい。そうやって家族みんなも一緒に前に進みます。

多分どの家族も、あるいは友達同士でも・・・これからも、こうやって前に進むしかないのでは。ストレスがあるからと何かに便乗して暴れたり、最初から分かって貰えないと社会と歩むことを諦めたりするのではなく。自分をその状況に貶めた「なにか」に苛立つのではなく、家族とその状況から少しずつ抜け出すってことを続けるしか。

話が支離滅裂になっていますが、私の中では一本の線で繋がりつつあることなのです。人間が動物ではなく人間として社会を構成するとはどういうことか。礼節や思い遣りはどこでなにを発揮するのか。

それはartという分野に確実に根をおろしていて、ただ実生活との間にはっきりとした繋がりを見出しにくい(あるいは言葉で表現しにくい)からおろそかにされることだと思っているのです。

だから私は日常を固めるところから、そして言葉と向き合い続けることから、この私の中でうっすら見えてきている一筋の光のかたちをはっきりさせていきたいなとおもうのです。


つまり・・・哲学っぽいことを日常に持ち込みたいなと思ってます。

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さて元旦の本日、初日の出が見られたらいいな、と、家から2時間ばかり走ってユタ・ネバダの州境まで行ったのですが、生憎の曇り空で。

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この時期にソルトフラットに突っ込むツワモノ(というより考え無し・・・もの凄く濃い塩水が浮いているのでかなり柔らかく、車は間違いなく塩漬けです)。まぁ・・・晴れていたら私は歩いてむこうのほうに行って写真を撮ろうと思ってたけどねw(−6℃のなか歩いて行くのはなかなか大変っす)

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日の出はみられないけど、西の空の色が綺麗だ、と写真を撮ってる夫。

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初日の出、あっちのほうだったはずなんだけどなぁ。

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遠くの山に朝日がペイントしてます。

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山に毛布がかかったような雲。今日はこんなのばかりを見て帰ってきました。

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本当なら、ウェットなソルトフラットにこんな風に朝日がうつるのを見たかったんです。これは帰りの高速道路から、雲のスキマの光がたまたま映った景色だけれど。

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こんな風に鏡みたいにうつるのは、相当の気象条件がそろわないと、って所ではあるんですけれどね。来年は頑張ってみようかな。


皆様、穏やかなお正月を。

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