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その土地の日常に滑り込む宿

時々書いているけれど、私はバケーションレンタル(ゲストハウス)をやっている。一軒家の2階と半地下部分の2件。半地下のほうは今長期で借りてくれている方がいるので出していないが。

今はそんなわけで2階部分を全部占有している一件のみ出している。この新型コロナの患者数も死亡者数も世界一多いアメリカではあるのだけど、国内の車での移動が無くなるわけではなく、ぽつん、ぽつんと稼働はしている。ありがたいことではある。


さて、ゲストハウス運営を始めて3年になるが、儲けることをしていない毎月の収支は赤い。特にこの世界的不況下では普通なら売却を考える、そんな状況だ。それでもいまだにやっているのは、わたしが訪れたいろいろな場所でとても良い想い出となったゲストハウスがいくつもあるからだ。

いわゆるラグジュアリーホテルも(めっっっったに泊まらないから)泊まれた時の高揚感なんかを覚えている。けれど理由は分からないのだが「泊まっただけ」の想い出はどこか薄くて透けている。過ごしているときは確かに快適なのだが、しつらえは殆ど一緒でリネン類や基調となるカラーの違いはあれど 良くも悪くも没個性な部屋は感情も揺れたりすることなく明日のために早く寝よう、になる。あるいは夫婦で散々部屋飲みをして酔っ払って寝るか。

Airbnbは最初、私一人が用事でどこかの都市に行く際ルームシェアというカタチ(リビングのソファベッドを借りるとか家の中の空いている一部屋を借りるといったもの)で使っていた。私一人なら全然それで良かったし、大体大都市になると一泊$250とか、冗談じゃないという値段になるので、それが一泊$80なんかになるのは。有り難かった。

で、Airbnbのサイトを覗くようになってから気になっていた、「一件貸し」というものを家族旅行のときに使ってみた。
最初はどこだったろう、奈良を訪れたときか。(奈良に住んでいた姪がバイトのあと遊びに来てくれた)

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1階のオーナーの住居とは直接繋がっていない、2階部分の家だった。住宅街のなかにあるその家は、眺望が特に良いとか旅行者に交通至便というわけではなかったが、エリアで暮らす人達の息遣いがあった。

アムステルダムは住宅を確保するのが難しい所、と留学していた同級生が言っていた(住民登録が済まないと賃貸物件が探せず、そしてどこも狭いと)のがかえって街中の暮らしに興味を持たせた。ということで、アムステルダムの駅から路面電車で10分程のところの1ベッドルームのアパートを借りた。ダイニングのソファベッドが子供達の寝室となる、確かに小さいところだった。

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でもこんな街並みを、夜に歩く気になったのもホテルではなかったから、ともいう。(ホテルにチェックインすると、出歩くのは本当に面倒になる一家なのです)

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ライデンのまちも、そんな一件貸しのゲストハウスの雰囲気が旅を印象深くした。

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ホテルではないぬくもりがゲストハウスにはあるね、そんな話をした。

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ブリュッセルはグランプラスが徒歩2分。天井が高く、つい先日までオーナーが暮らしていました、というかんじの部屋は妙に居心地が良かった。ここは2ベッドルームあったのでかなりゆったりと過ごし、「泊まるところは出来たら、ある程度の広さが欲しいね」と家族で話した。(ここはとても素敵だったのだけど、写真は撮っていなかった。でも心にしっかり、インテリアも小さな生活の匂いも残っている)

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ナミュールというベルギーの山間の街にあるゲストハウスにも宿泊した。ここは建築家のオーナーが納屋を改造していて、その狭さが妙に心地よかった。両側にベッドルームがあり、階段に降りるところにシャワーがある。1階部分に小さなキッチンと本の沢山置いてある素敵な書斎(リビング)があった。

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ギリシャでも、予定と 気に入るゲストハウスがあるかのバランスで宿を決めた。気になるゲストハウスがない時のみ、ホテルを使った。

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アテネのゲストハウス。やっぱり家族でゆっくり出来るリビングや、その土地で買ってきたモノを簡単に調理したりおつまみとして出したり、はものすごく記憶に残っている。

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サントリーニ島、ここは一応ホテルだったが「もともとアパートみたいなモノだった」とオーナーが言うとおり、キッチン付きのこの家は人間の住んでいたぬくもりがあった。

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思うのだけれど、家族4人が同じ空間で過ごす時間が長いというのも明らかに旅の質に影響している。その日見てきたものを写真やパンフレットを拡げて思い出したり、翌日の予定をそのまま相談したり。

そしてその場所に「ひとの息遣い」が続いているところ・・・場所そのものが家族の場所として成立している。そんなものがなぜか、ゲストハウスにはある。オーナーが「泊まる人には家族で、友人とで、自分の家のように寛いで欲しい」と思って準備しているのがとても良く分かる。


本当に不思議なのだ、同じ旅行先でホテルの印象は(どんなに良い経験をしていても)ゲストハウスのそれよりずっと薄い。ホテルでその土地らしさを感じることはあっても、ゲストハウスの「その土地に暮らす」が当たり前にあってその中にすぽん、と私達家族の時間があった、という感覚はありえない。

だから採算度外視な、家族の泊まれる場所を私は作りたかった。
家族や心を許せる友人同士がその土地での記憶を 眠る前に皆で再度テーブルの上に拡げて、楽しかったねとか、また明日はここに行こうとか、そんなことが話せる場所を作りたい。

暮らす様に旅する。

その言葉を実際にカタチにする1つの手段としての、ゲストハウス運営を続けていたいと思う。


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