闘病中の大事なともだち
私の大事な友達を紹介します。
彼女とは高校で同期だったのですが、高校時代は直接の接点はなく、共通の友人を間にお互い知っている、という感じでした。ただ私から見た彼女はずっと「綺麗でなんでも出来て、私にはない女性らしさと育ちの良さの滲み出る」なんとも羨ましい人でした。がさつな私が話しかけるのは申し訳無いような気がしていたんです。
私の周りには医師になった高校同級生の女性が何人かいるのですが、彼女はそのうちのお一人で。
彼女の消息を久し振りに知ったのは2年程前のFacebookの投稿。やっと退院した、というようなことが書かれていて、久し振り!どうしたの、もう元気なの?みたいな能天気なメッセージを入れていました。医師だからこそ、でしょうね、彼女はまるで最近行った美味しいレストランの話をするかのような淡々とした感じで、それまで知らなかった癌のための緊急手術だったことを伝えてきました。
彼女と話をしはじめたのはその頃からです。
その夏の一時帰国のとき彼女に会いに行って。
そんなふうに話をするのは多分、高校が一緒になってから初めてだったのですが、いろんな話をしながら自分が高校時代、この私にないものだらけな素敵な女性にとても憧れていたんだなぁということを思い出していました。
すごくきちん、としてて。でも堅すぎるってわけじゃなくて。
同じエリアで育ったとか、選んだ職業や結婚して方向ちょっと変えたとか経過点は似ているのに、彼女の見てきた世界は私が得られなかった、選ばなかったもので、なんというか・・・ 羨ましい、というのとは違うのだけれど、共通のものを持ってもこんなに違うんだなぁ、と話をするほどに興味をそそられる人なのです。
私との違いがくっきりきっぱり見えるのは この「手先の器用さ」と彼女の世界観が現れる「ものづくり」。ルルベちゃんというお人形があるのですが、沢山つくるなら「認定講師になっちゃえば良いんだ!」と。ヘッダー画像は彼女がわたしのために作ってくれた「ともこルルベちゃん」略して(?)ともべちゃんです。どうして私の好みの服とかわかるの?っていう、私っぽい服装をしているともべちゃん。(実際の私はアクセサリーが殆どつけられないのですが、好みはドンピシャ)
彼女のつくった宝塚のベルばらバージョンなんて圧巻です。
「つまみ細工」もつくってしまう。作品がnote記事にもあがってますが、彼女のセンスと器用さが現れてる。
宝塚に去年の春入学したお嬢さんとそのお友達のために、おそろいのリボンを作ったり(リボンって、形がシンプルなだけに そのサイズや縫い方にきっと気を使うと思うんですよね。)。そうそう、シンプルなアクセサリーならご自分でちょちょっと作ってしまう。もう、こんなところは私には欠片もないセンスですね。
彼女の、時間を丁寧に生きている姿ってね・・・ 私達の日常に沢山転がっている幸せをつなぎ合わせるとこういう形になるんだなぁって思うのです。私達は足許でキラキラしたこういうものを見ないで、空を見上げて良い事無いかなぁとか言っちゃう。それはそれで幸せの形なんだけど、彼女の並べた言葉を見てると反省もするのよね、自分が自覚してるより幸せってしらなきゃ、って。
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このnoteを書いて数日経ちました。彼女に紹介をOKもらおうと思いながらちょっと失念してたり時差あるから後にしようかなんておもったり。
今日 彼女の新しいnoteがあがって、再発巣が大きくなってると書かれてあり凍り付きました。
でも ご本人が「なぜか不思議と不安な気持ちがなくなりました」と書かれているところで私が動揺しても仕方無い。私は彼女の中心を通っている凜々(りり)しさを、ただ美しいと思いすごいなと思うだけです。
闘病のなかで書かれているnoteはほっとんど泣き言も不安も書かれていません。まわりのひとを気遣う細やかさの塊みたいな彼女の、そのまんまが見えることばたちばかり。折角書いていらっしゃるのだから みなさんに知って欲しいと思ったのです。
ご本人に許可とってから、と思ってたけど、そんなことやってると私はまた先延ばしを続けるので ご紹介してしまおうと。もう公開されてるnoteだから、いいよね?
Kちゃん、また会いに行くね。
サポート戴けるのはすっごくうれしいです。自分の「書くこと」を磨く励みにします。また、私からも他の素敵な作品へのサポートとして還元させてまいります。