見出し画像

自分をまるごと「受け入れる」ことは、言うほど簡単じゃない半世紀だった。

 アラフォーの頃の私は本当に「残念な、とちくるった」人間だった。

 何かを成さねば人として未熟だと思っていた。自分は。

 他人には「そのままで充分素敵だし、他の人がもってないものを既に沢山持ってる」と言って、なんだったらひとつひとつ指摘してその凄さを伝えてたのに、自分に向かっては「お前は全くだめだ」と言っていた。他人を妬むことは幸い全くなかったが、代わりに自分をいじめ抜いた。

 何者かになろうと、新たな知識やら知見やらを貪った。心から同調出来ないことも「いつか自分のなにかと共鳴して、私なりの理解が出来るかもしれない」と、暗記する勢いで繰り返し読んだり聞いたりした。

 自分の知らない世界の人達と交流した。最初の違和感は「知らないからだ」と押さえ込んで、相手の世界を受け入れ咀嚼し、私なりの吸収をしようとした。

画像2

 あるとき、友人の一人が真面目な顔で私の目をみながら、私に言った。

 知りたい、が執着になって真っ黒になって内側からともこさんを飲み込んでる。

 愕然とした。まさに、そうだった。
 私の中にあるのは 知りたい、理解したい、手に入れたい と渦巻き全てを飲み込むブラックホールだった。私の「身」には何ひとつなっていなくて、私は 私の望む全てのある「無」とは正反対の「無」に向かっていた。

 その時私に見えた「私自身」は、外側は人間で内側は気持ち悪く溶け始め、中心に小さいながら全てを飲み込もうとしているそのブラックホールをかかえた屍だった。

 自分を「今のまま」受け入れるのは、どういうわけか難しい。それは、私だけではないだろう。実際、多くのひとがそこのループに捕らわれているのを今もみる。


 達成感があれば自分を受け入れられると、わざわざ私に教えに来てくれた人がいた。理屈はそうかもしれない。褒められて伸びるのと一緒だ、自分で自分を認める何かを絶えず設定すること。

 ・・・でも世の中にはそういうことが当たり前過ぎて全くやる気のネタにもならない人種もいるんだ。私はそこにいた。それにその助言をくれた人の「設定目標」は私のそれと世界観を異にしていた。


 やったことで認められる?みんなが望む7割から8割の結果をだしたら褒め称えられることは小さな頃から知っていた。出来そう、と思ったことはなにかを特別頑張らなくても8割を超えられることは最初から分かってた。そのひとなりに本当に頑張って成果を手にした人だけしか、その頃の私は認めてなかった。その視点で、私は最低最悪の何も成せないひとだったのだ。
 やってみただけ、それで褒められて嬉しいか?なんでそんなことで褒める?褒められて有頂天になっているあいつと一緒だと?私を馬鹿にしているのか?
 子供の頃の私は世界を嫌いになっただけだった。

 そして8割と10割の結果の間には、天と地ほどの差があるのに、越えられるひとが少ないからか あるいはその努力を続けることが出来ることこそ天才性だとあまり知られていないからか、世の中の評価は同じようなものだった。やってみただけの私と、本当にいろんな努力をしたあの子とで評価が変わらないのはおかしい。あの子がすごいのになぜ同じなんだ。

 私に「小さい目標をひとつひとつ超えていけば」と伝えに来てくれたひとの言っていたことは、私のなかでの8割の結果どころか、4割から5割の結果のことだった。

 努力なしでやった8割で認められ褒められる。その自分を特別だなんて思った事はない。ただ、そういう造りになっていただけだ。そして、そういう人達はある一定数いるものだ。そこで私は凡人であり何も持っていなかった、もちろん天才性だなんて無縁だった。

画像5

 苦しんで挫折しそうになる自分を鼓舞して10割にようやく指先が届くか届かないかくらい、の結果なのに得られる世間一般からの「認められる」「褒められる」には、8割の時のそれとなんの差もない。少なくとも周りの大多数にはその差を知る世界観がないか、その境地の苦しさの本当の意味を知らないか、だ。本当にその「天と地」の差を知る人は、ただ黙って「おめでとう」と背中を叩いていく。私はほぼいつも背中を叩いて賞賛していくほうだった。私は何も成せないひとだった。

 ひねくれた私は「頑張らない」を頑張ろう、とおもったことがある。高校時代の丸3年間の私がそれだ。でもただ怠惰になれば良いと思っていた「頑張らない」なのに、たった400人の中でそれを究めることはとうとうなかった。(なんというバカなことを試したんだ、と笑って欲しい。私は結構真剣だったのだが。)

 どこにいても、どの方向性でも、突き抜けるのは実は難しい事だ。

 そうやって私の中に半分くらい虚無感が拡がった頃が浪人時代だった。大きく遅れをとった全てを取り戻すべく考え方を変えた。でもそこに周りの一風かわった予備校仲間が新たな「人間の輝き」を通り過ぎる一陣の風のように見せてくれたのだった。たった半世紀の人生の中でも、あんなに色とりどりに輝く人達との出会いがあった時期はないかもしれない。気付いたのはずっとずっと後だけれども。

 人間の評価は成績の善し悪しで決まるものではない、言うは易く腹で理解するのは難しい。それはモノサシの1つの形であって、たまたまそれに合った能力を持っている人はどこにでもいるが、彼らが悩みを持たないかと言ったらそんなことはまったくない。成績という意味でライバルになれるひとは世界に両手に収まるというようなひとが、何を思ったか顔見知り程度のそこにいた私をみて言った言葉は衝撃だった。

 あなたはどうやって人と話しているの

 孤高のひとはそのままその場を立ち去ったし、責めているわけでもなく馬鹿にしているわけでもなかったその一言は、彼女の本心の声だったんだと今はわかる。私からしたら宇宙人的とも言える超明晰頭脳で生きていた彼女にも、探しても理解出来ない、得られないものがあったのか。

 でも、それらのことを意味を持って思い出し考え直すまで、私にはさらに20年かかったのだ。

画像3

 自分の事を「鏡」なしには全体像すら見ることも把握することも出来ない私達は、〈社会に生きる個体としての自分〉を理解するため、その立ち位置や役割を際立たせてくれる他者との比較が欠かせない。

 けれど隣の芝生は青く見えるのだ。比較する他者は何でも持っている(ように見えている)。自分の欲するものをもち、羨ましいくらいに自在にそれを使って生きている。自分はだめだ。そういう結論を繰り返し自分にダメ出しを続けるのは実は簡単だ。

 今の自分がダメならOKな自分になるしかない。それには欲する知識を、人脈を、魅力を自分で取り入れ手に入れ、成長するしかないと信じ込む。

 あるいは、成長しようとして突き詰めていく世界を、自らの決断で離れることがある。共に歩きたいひとができた時。命を繫ぐことに、どうしようもない渇望と喜びを感じたとき。その決断を、その選択を自らしたはずなのに、社会のなかで生きていると周りとの比較が始終押し寄せ、自らの決断をなんども揺さぶる。

 そうして私は私を嫌いになり、ダメだと思い、外側の新しい殻を慌てて付け加えるかのように知識を詰め込んだ。新しい事にチャレンジした。自分の心が悲鳴をあげているのを気付かないフリをした。

 今までの自分はダメなのだ。
 今の自分ではダメだし そこに至ってしまった失敗続きの自分はだめなのだ。外からダメだった自分が見えてはいけないのだ。

 この上にとても厄介なことに、子供の頃からの信条、というか認識が加わる。「この程度は成果ではない。この程度では認めてはいけない。もっと新バージョンの、隙のない自分にしなければ」

 ここに、自分の外側に自分と溶け合わない皮膚を作り上げ、内側から腐っていく人間が生まれた。私だ。

 友人はたった一言で、その10年あまりの私の間違った狂った目を開かせてくれた。

だらだら書いたけれど、そんなわけで私の30代後半から40代半ばまでは自分を探して真っ暗な道を手探りで歩いた時期だ。そして今はわかる。暗闇の先にしか答はないと思って歩いたから何度も間違えたし迷宮に迷い込んでいた。

 本当は自分をしっかり見直してみたら、自分の歩いた道が、自分自身がちゃんと光を放っていたのだ。自分にとっての選ぶべき道、自分にとっての正義、自分にとって何があっても譲れないもの。それらは私自身のなかにあって、そこにしかなくて、ちゃんと足許を照らすランタンだった。

 予備校時代知り合った輝いていた人達は、自らのランタンを持っていたんだ。あそこにヒントがあったのに、私はそれを忘れてしまった。

 ランタンの在処の探し方は簡単だった。
 それまでの自分の歩んだ道を、そこで出会い自分の考え方や物事の受け取り方を修正してくれた人達のことを、そこに辿りつくまでの未熟で汚くて格好悪く、信じられないようなとんでもない自身のことを、「それらが道標だったのだ」と気付く、道標を受け入れる、それだけだった。

 過去のいろんな自分をさらけ出すほどの勇気はない。自分で受け入れるには恥ずかしくて苦しくてどうしようもないことが沢山ある。でもそれの「おかげで」今の自分の理解がある。今の自分をつくってくれた沢山の出会いに感謝している。

 自らのランタンを手にして周りを見渡したら、もうランタンはいらない明るさだった。50年かかってしまった。でも、その格好悪く最悪な自分を受け入れることなく、この明るくて静かなところへは辿りつけなかったことだけは分かる。

 私はいま、明るくて凪いだ海を見ながら歩いている。ちょっと重さのある、角が擦れたなめし革の古いスーツケースを持って。
 私の周りには、実際の距離はあるのだが 同じ景色を見ながら歩いている友人達がいる。バカな話をし、お互いをからかい、突っ込み合い、でも優しさでくるんだ世界をいつも見せてくれている。彼ら、彼女らも私と同じように 過去の自分という格好悪いものを、手許のスーツケースに大事にいれているのがわかる。

画像1

 隅から隅まで美しい人など、多分本当の意味での魅力はない。過去の自分を「ここに導いてくれた愛おしい記憶」だと、美化するのではなくただそれとして受け入れることが 人としての深さとなり優しさとなり魅力なんだと私は思っている。

 あちこちで書いているが、人間の持つ素晴らしい能力は「選択することができること」と「忘れることが出来ること」だと私は思っている。ただ、後者の「忘れることが出来る」には「塩梅よく忘れる」、という大事なポイントがあって、これを「都合よく忘れる」にしてしまうと 人間はどこかとんでもない所へ向かって行ってしまうものだ。

 無様で格好悪く、もしかしたら最低な人間だった自分を受け入れるには部分的に薄めて(忘れて)しか受け入れられないことがあるものだ。あるいは記憶をすこしぼやけさせるセロファンで何重にもくるんで、中身の酷さ、醜さはちゃんと抱えるし覚えているけれど 今の自分を自己嫌悪まで貶めない「塩梅の良さ」の「忘れるセロファン」は、やっぱり大事だ。だって、その事実自体は自分に猛毒で鋭い剣だから。


 忘れるセロファンでくるみこみ、大事に手持ちのスーツケースにいれる。スーツケースを開くときはいつもそこにあり私の心はちくりと痛む。持っているだけで「これが私だ」と思い知る重さを、スーツケースを持ち続けてマメが出来た掌で感じる。

画像4

 50年かかったけど、全く簡単じゃない道のりだったけれど 今の自分は嫌いじゃない。完璧にはなれない。ちっともすごいところなどない。けれどそれぞれのスーツケースを「面倒だなぁ」と言いながら持つ人達となら、バカを言い笑い合いながら一緒に歩こうと思える。ときどき立ち止まってスーツケースを椅子代わりに休んだり、時々道端の店でスイーツを買ってスーツケースをテーブルにして一緒に味わうことも出来る。

 遠くには、あるいはすれ違う人の中には、一人一人が持っているこのスーツケースに見栄だとか賞状だとかトロフィーとか大金とかを入れている人もいる。それすらも、過去に見たことのある状態として今は私は笑顔で見遣れる。

 今の私は知っているから。スーツケースにいれる「べき」ものを。入れたらちょっと重くて痛いって思うものには、道端でどこででも「忘れるセロファン」が安く売ってることも。もしかしたら既にあなたのポケットに入ってるかもしれないし。ほら、私達は必要なモノは全部持ってるんだ。

ーーーーー*****ーーーーー

これを書かせてくれたnote友達のあなたへ。私の手持ちの「(塩梅よく)忘れるセロファン」の予備と一緒に。

ーーーーー*****ーーーーー

私自身のなかでのetude(練習曲)は、ずっと書き続けて成功してない自身のこと、にしました。まぁ、いつか読み返したら未熟だと思うんだろうなぁ、と思いつつ。


サポート戴けるのはすっごくうれしいです。自分の「書くこと」を磨く励みにします。また、私からも他の素敵な作品へのサポートとして還元させてまいります。