見出し画像

お年玉を知らない我が子たち。

「お年玉いくらもらった?」

正月明けの教室で、この会話があるたびに居心地悪くてその場を離れたものだ。当時(40年前!)であっても小学生で「お年玉全部で3万円になった」「オレ5万円」とかいう子はいた。どうやったらそんな金額になるのか、そんな大金あったら何ができるのか、どちらも私にはさっぱりわからなかった。
私はお年玉とは縁遠い家に育ったのだ。

もともとお年玉というのは歳神様に備えた鏡餅を松の明けたとき(地方によって、あるいは解釈によって日にちは色々らしいが)にお下がりとして頂くことから「歳神様の魂」→「歳の玉」みたいになったらしい(諸説ある)。子供にお金を「お年玉」として渡すようになったのは昭和の、しかも高度成長期だとか。ふううん。
私はてっきり大陸文化の「紅包ホンバオ」「利是ライシー」の風習からの借り物かと思っていた。中華系の食料品店なんかに旧正月前には大量に並ぶ赤と金の小袋は、このお金をいれて目下のものに配るという文化が今もあることを教えてくれる。そんなに大きな金額は普通は入れないらしいけれど、正月に親から子へというものに関しては、お金をあげることで子どもたちを祟りから守り一年の幸せと健康を願う意味があるという。

中華圏のこういう文化も素敵だと思うが、もはや歳神様という言葉も忘れ去られつつある日本で「お金をあげるお年玉」文化だけ残っているのは、個人的には共感しにくい。ついでに私の子供の頃の「そんな大金何に使うの?」の疑問も理解できない気持ちからも・・・お年玉には個人的に思い入れがなさすぎる。

子育てのほとんどを海外でしているせいもあるが、自分から子供達にお年玉をあげようともしてこなかった。一番は「忘れている」で、ついでにお年玉を「必要と思っていない」せいだが。

時々日本で年越しをすると親戚や親しいご家族なんかから子供がお年玉をもらうこともある。いったんきょとん、として、中身がお金とわかるとすぐに嬉しそうにありがとう、という。子供だよなぁ。
小さいときはそれらを「預かって」いたが、あるとき自分で持っていたいというので任せた。そして子供達は案の定、そのままなくしていた。あるいはその時もらったと思われる綺麗に畳まれたお札が、本棚のよこに落ちて何かの下敷きになっているのを見つけたこともある。まぁアメリカだと買い物だけではなく友達の家に行くのにも親同志がアレンジして送り迎えするくらいだから、日本みたいにすぐ「欲しいモノを買いに行く」というわけにはいかない。だから子供達も忘れてしまうのだろう。

とにかくその後、我が家の正月に「お年玉」はなくなった。子供達も本当は欲しいのかもしれないけれど催促はしてこない。

お年玉というのを伝えない正月にしているのが正解なのかどうかはわからない。
でも私の子供の頃に周りの友達が沢山のお年玉をもらっていても、そのお金を上手に使っていた友達もほとんど知らないしお金の使い方を学んだ子もほとんどいなかった。貯金して終わっている、あるいは親に渡す(私がそうだったが、思ったより結構な割合の友達がそうしていた)、もしくはずっと欲しかったゲームを買う、など・・・・それ以上の使い方を聞いたことがない。
たった一人、大学時代の友達が高い教科書を「学費も出してもらっているのに高い教科書代を親に言うのが心苦しいから、昔からのお年玉貯金で買った」と言っていて、それはお金の正しい使い方だけど 逆にずっと貯金してるくらいなら投資とか短期外貨預金とかにすればいいのに、と本音では思っていた。

まぁそんなわけで子供時代の経験もあって、お年玉はもらったことも、あげたこともとても少ない。
今どきの日本のお年玉袋にいくらくらい入っているのが普通なのかは知らないが、もし正月時期日本に帰っていて、親戚の子なんかにあげるお年玉を考えたとしたら・・・袋に入れるのは千円札一枚・・・か、二枚かなぁ。で、多分「お金をあげることで子供が幸せに育って欲しいんだよ」と一言添えるんじゃないかと思う。

「ケチな叔母さん」って思われても、渡したいものは安易なものじゃなくて自分で考える気持ちなんだよなぁ。
・・・って、お年玉をあげもしないくせに何を言う、だけどね。たまには、そういうむちゃくちゃ言う叔母さんがいたっていいんじゃないか、と思うのだ。

サポート戴けるのはすっごくうれしいです。自分の「書くこと」を磨く励みにします。また、私からも他の素敵な作品へのサポートとして還元させてまいります。