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だれもが神秘の塊ですから

ここ数年、なにかと「臓器」ひとつを取り上げて持ち上げたり「自分のもつ可能性」にまでそこから繋げている(としか私には見えてない)ってものが沢山あるよなぁと思うのは・・・気のせいじゃないですよね。

どうしてなんだろう。どうしてその「臓器」なんだろう。

腸のときは(一応消化器外科医だったし消化管の病理は選ばなくても嫌と言うほど診断しなければいけなかったし)ごもっともです、って思うところ多かったんです。でもこれが子宮になり、一応女ながら むむむむ?と思いつつもまぁ誰に害があるわけじゃないし、くらいにしていたけれど今度は膣活?!なんじゃそりゃとおもっていたら、クニミユキさんがすごいタイミングでこれを紹介してくれててちょっとホッとしました。なんだ、こっちなら私も大事だと思うし、これについては聞かれて延々2時間話し続けたこともあります(笑)。オンナ同志だから話せるってことも、あるよね。

さて、ものごとには「切り口」「見せ方」のみならず「魅せ方」というのが大事だとは良く聞くし教わったこともありますが、身体に関しては・・・なんというか。○○活みたいに、1箇所に力入れすぎでは?って疑問も、よくおきます。

○○は全てを知ってる、じゃなくて、一緒に年を取りながらも素晴らしい活躍をし続けてくれている身体の一部として、私達も少しずつ智慧をつけて少しずつ労ってあげて、身体の神秘からのお返しを頂くってくらいがいいんじゃないかなと個人的に思ってるんですよ、昔から。

大体においてね。

私達の身体のなかで多分無駄なところは全くないのです。それらの連携は今の日進月歩というより秒速で進むくらいの西洋医学の世界だってまだわからないことだらけ。

分かっているのは「よく分からないけどすごい機能をもった各臓器は(語弊を恐れず端折れば)もともとがひとつの細胞から出来ている」「それらが全く違う、そして大切な仕事をする」「さらには勝手にそれを制御するシステムがあって、多くの場合若い頃は異常なく働く」「加齢で傷んだ箇所は体内で基本的にやっつけ隊がいるけど、おいつかなかったり見逃されると癌になったりする」みたいな、まだまだ人智の及ばぬものすごいシステムだってこと。ねー、すごくない??

それでもちょっとでも理解しようとして沢山のひとが頑張っているけどね。

この動物の身体という摩訶不思議な素晴らしいものに対して、「メインのシステムには関われなくても、必要な時に関わりたい」とするのが医療のやってることなんだと私は思っているんです。だからこそ何でも出来るなんて幻想もないのだけど。

つまり「どの臓器が素晴らしい」じゃない。
どれもが素晴らしいの。
もっというと、それらを自分の出来る範囲で大事にするっていうのが悪い事であるわけはないのです。

その上で、どうしても加齢性変化というのは目の前の壁として現れてくるもので。確かに嘆きたくなることだけど、加齢で無理が出来なくなるからこそ見えてくる 自分の身体への感謝とか人生の素晴らしさとか・・・そう、身体が私達に「ほら、見方を変えたらこんな素晴らしい世界なんだよ」って教えてくれることは沢山あると思いませんか。

老眼が強くなって、夜にあんまり本が読めなくなったのはつらいけど。そのかわり昔は朝に起きられない!とか思ってたのに朝早くおきて本を読んだり仕事を朝の内に片付けたりして、「1日の始まりっていいものだなぁ」と思ったりね。

ということで、私は身体は全体として素晴らしいと思う。
どこかを直せば全てが良くなるなんて事はないと思ってるし、もちろん悩みが減るのは良い事だけど「悩みと上手く付き合う」というのも年齢を重ねた上での賢さだと思うんですよ。

悩んでる事って結局、他人からみたら「え。そんなこと?」だったりするし。あるいは悩みにならないよう、本人がいくつかの小さな事に気をつけて平穏につきあっている病気っていうのもある。

身体は機械じゃないからね。一人一人ちがうものだし。
全体で、そう心までふくめて全体で、どこに無理がかかっているのかなとかどうやったらすこし潤滑にうごかせるようになるかなとか、そうやって一人一人が「良い塩梅」をさぐるもんじゃないかなぁ。

かく言う私も腸の反乱からようやく立ち直りつつあるところです。くぅぅ、気をつけてるけど防げない不調もあるんだよぅ。



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