稼ぐこと、生きること。
働くことは生きる事、という言葉を聞くことがある。働くことのなかに生きがいや社会の中の一人だと実感することや 経験や技術はもちろん、働く中で関わる社会や人との関係はまさに人生でなかなか得がたいものを沢山くれるものだ。
同時に 働くことで生きて行くためのお金を手に入れる、まさに生きること、いや、生き抜くことだ。
noter友達の深澤さんの記事が、ぽん と目に入った。
とても大切なコトだ。私も、扶養家族ってものになってからも自分で稼ぎたいとずっと思っていた。いや、今も思っている。ただ、それはお金持ちになるためではなく自分が社会に関わり「役に立てる」ものを金銭で受け取って実感したい、という程度のもの。ある意味 どうしようもなくアマちゃんなのだ。
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先日、アメリカ大陸の真ん中くらいをずっと走ってきた。ミュージアムや遺構を見たり、その時代に関連する映画を寝る前に見たりして 人々が言葉にならないほどの苦労をしてきた時代に思いを馳せた。
今の私達が豊かになる前の、それこそ作物が実るまでは土そのものを食べて命を繫ぐような、そんな時代。どの国にも世界のどのエリアにもあったであろう、耐え忍ぶ人達が作った時代。まさにその時代に 明日ではなく今日の、今晩の食事を 自分ではなく家族に渡したい、そう思って必死に働いた人達がいた。
私達も少なからずそういう生き方をしている。
そしてじわり、と分かったことがある。
働いて糧に変える、この一見単純な命題に 人間は翻弄され続けているんだなぁと。命題が単純なだけに、その先にやり方は無数に拡がっていて、そして恐らくどれもが「楽」ではないし正解でもないけれど間違いでも無いのだ。
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生きる事の本質に近いところに「働く」がある。糧を得ること、がある。
そこを考えて行くと 愚直なやり方から狡さを発揮したことをやること、幸運なこと、不幸なこと、冷酷非道な面をもつことで家族を守ること・・・いろんなことが思い浮かぶ。
どこにもキレイなものは無い。キレイな気持ちでいたくても、人間は膝まで浸かって泥の中をかき分けながら進んでいるようなものなのだから。冷たくて重い泥沼をかき分けて進むしかなく、顔や髪に跳ねた泥は乾いて皮膚を引っ張り、指先は厚く泥の皮を纏って動かすのもままならず、喉の渇きは癒されることがない。重い足は次の1歩を出すために持ち上げることすらできないけれど、それでも1歩を出すのだ。
進むしかない。進むのを、歩くのを止めたいと思っても 生きるために進まねばと魂が命令するのだ。泥の中に沈んでしまえば楽になると思っても、沈んで呼吸が出来なくなった土壇場で生きたいと魂が叫ぶのだ。反射的に顔を泥の中から上げる無様な自分に、空気とともに口に入る泥と砂の味がする。
生きるってそんなもののようだ。
若い頃、欺瞞だらけの世の中に絶望を感じたことがあるのは私だけではないだろうが、そのうち気付く。欺瞞も見栄も狡さも、昔 汚いと思ったものは この泥沼のなかで手をついて立ち止まれる木切れなのだと。
稼ぐとは、糧はもちろん、手や顔を洗い喉を一時潤す水を手に入れることなのだと。一緒に働く仲間というのは、その水を皆で手に入れ、桶をつくり貯めておき、分け合って少なくとも喉の渇きからは逃れられる共同体を作る人達だと。一緒なら船と言わずとも筏は組めるかもしれない、そうやって前に進める仲間達なのだ。
稼ぎたい、もっとお金を手に入れたい、に終わりがないこともそうだ。
この泥沼の上に浮かべられる小舟が欲しい、から始まって、小舟に愛する人は一緒に乗せたいから大きさが欲しい、船の上に飲み水のタンクがほしい、船を漕ぐ櫓が欲しい、船の上で食べ物を手に入れるための釣り竿や網が欲しい、船上で調理できる道具が欲しい・・・そんな、果てしのないものへと繋がる欲求、いや、欲望みたいなものなんだろう。
それを誰が汚いとかイケナイとかいえようか。
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幸いなことに私は泥を食むような苦労はしていない。それでも泥の中をかき分け、ときに絶望しながら歩くことは知っている。一応そこそこ生きているからね。
5人のお子さんと奥様をつれて前に進んでいる深澤さんを ただ尊敬する。そしてこれだけは伝えたいのだ。
ほんの少しの余裕を欲しいなと考えることを諦めず、また家族の乗る船を修繕しながら前にすすんでいる深澤さんは、ちゃあんと真っ当に生きているしスゴイ成功者だと私には映っています。泥沼を覗き込むのではなく、前を、すこし空を見られるその姿勢が きっとご家族には最高にカッコ良く見えている(あるいはいつか気付く)と思ってますよ。
そして、泥の中に蓮の花を咲かせるのはこういうひとだろうなぁって。
私も大きな船は要らないんだ。ただ、自分の集めた、ささやかだけれど大事なキレイな小石だとか子供のくれた絵だとかを載せる小さな桶を作りたいんだよね。
うん、私程度だと、望む余裕ってその程度なんだけどね。でもその余裕、出来たら欲しいんだよね、手に入れたいんだよね。ちょっとバカみたいだけどね。
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