背景が想像出来ないと偉業の偉大さが分からないのは本当に残念だ。
G社検索画面、開くとその日のイラストが出てきたりしますよね。
今日(アメリカ時間2月17日)ひらいたら、こんなのが出てきました。
なんだろう?ってイラストをクリックして、G社による説明が出てきました。
高橋理明先生、1928年2月17日生まれのウイルス学者です。水痘(いわゆるみずぼうそう)のワクチンを開発された先生。
みずぼうそう、小さい頃やりました?現在50代のひとあたりから、大抵のひとはワクチンを受けてるのでやってないはずなんですが。
私全身に赤いおできができたことありますが、多分あれは「とびひ(伝染性膿痂疹)」だな。(とびひは 細菌による皮膚の感染症で、原因はもちろん、治療法とか全く違います。高熱がでることは少ないです。)
昔、水痘はかなりのひとが罹患し(ほんとうに感染力が強い)、まぁ大体(9割くらい)は子供がかかって そのまま殆どの子は治るんですがやっぱり医療的には問題だったんですね。「近年の統計によれば、我が国では水痘は年間100万人程度が発症し、4,000人程度が入院、20人程度が死亡していると推定」されているのだそうです(出典)。いまだに怖い病気であることは変わりません。
「え!死んじゃったりするの?」
そうなんですよね。特にオトナが罹り発症した場合、水痘そのものが重症化するリスクが高いともいわれてます(まぁ、ワクチンなどで免疫が勝つことが多いのですが)。麻疹もそうですが、ワクチンのおかげで多くの人がその病気を忘れるほどになっていても、罹るとかなり重篤になってしまう病気は沢山あります。
最近、いろんな情報がどんな人も受け取れるようになって、自分の身体は自分で守ろう、みたいな声を聞くのも普通になりました。基本は私はそれ、悪い事じゃない、って思います。基本はね。自分で勉強する姿勢がでるのはいいことだ。
だけど、付け刃の知識を全てに当てはめてしまう人たちがいることが実際多くて、そこがなんというか・・・懸念を越えて結構絶望的に感じたり。
自己判断では間違う世界、ってのがやっぱりあるんです。
そのために高等教育、専門教育ってものがあって、どこから気をつけなければいけないか、っていうところに常に自分を疑う姿勢っていうのも必要だと私は思ってるんですね。
高橋先生の業績は私も学生時代本で読んでいます。でも当時はそれがどれほどの偉業だったかを真の意味で理解出来ないお馬鹿さんでした。まぁ視野が狭いというのはほぼいつも若さにくっついてくるものですけれど。
高橋先生がワクチンの開発に従事された時のお気持ちとかその信念のもととなった社会背景なんかが分からない今では その功績、偉業っていわれる理由なんかは届きにくいかもしれない。
そこのところを ひとつのお話としてだれか書いてくれないかなぁ。なんて考えたところで「そう思ったお前がやれよ」といわれる案件か、これ・・・と自分ツッコミしてしまいました。
高橋先生のご著書。読んでみないといかん。
なんにしても、高橋先生の偉業に思いを馳せるきっかけをありがとう、検索エンジンさん。